NO WASTE

論理的に、そして感情的に。

【日記】創作は正解がないから面白いのにどうしても正解に辿り着きたいと思ってしまう。

そりゃあ最低限の日本語力は必要かもしれないけれど、小説って好きなようになんでも書いていいはずなんだ。キャラクターが平凡だっていいし、ストーリーだって奇抜で斬新なことが正解ってわけでもない。それらを頭で理解していても、なぜか「正しい答え」を求めてしまう。

最近、小説を読んでいてもお手本になるかどうかという観点で読んでしまうことが多い。自分なりの正解を求めればいいんだからお手本なんていらないはずなのに。まあ、これは極論かもしれないけど。

賞を獲ろうと身構えてしまっているからだろうか。もっと楽しく自由に創作をしたい。少なくとも初稿を書き上げるまではそれでいいはずだ。まずは自由に書いて、後で直せばいい。わかってる。わかってるんだよ。

問題は他にもあるかもしれない。たとえばキャラクターメイキングについて。そのキャラクターを通じて書きたいこととそのためのストーリーを考えることはできても、彼らのどういう姿が見たいのかが浮かんでこない。彼らの自然体がわからない。まだまだ作り込みが甘いからだろうか。ある人は書きながらキャラクターを構築していくと話していた。なんでそんな芸当ができるのかわからない。もっとも、その人とはキャリアが違いすぎるので参考にすべきではないのかもしれないが。

もっと気楽にやっていい。別に賞のためだけに書くわけじゃない。お手本とか正解とか、考えすぎなくていい。お手本が見つからないということはオリジナリティがあるということ。正解が外にないということは新しいということ。自分で面白いと思えればそれでいい。やりたいようにやれ。理屈にとらわれすぎるな。意味に縛られるな。そう自分に言い聞かせる。文章化することで何か変わることを期待している。