NO WASTE

論理的に、そして感情的に。

常闇トワ生誕後夜祭アコースティックライブレポート

常闇トワ生誕後夜祭アコースティックライブレポート

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大手Vtuber事務所・ホロライブプロダクションに所属する常闇トワ(通称:トワ様)は8月9日、自身の生誕後夜祭を銘じたアコースティックライブをYoutube上にて開催した。トワ様は約50分のライブで8曲を披露。2万人を超えるファンがリアルタイムで視聴し、コメント欄には「TMT(※)」コールが流れ続けた。

※「トワ様マジ天使」の意。回線の問題で配信が止まったわけではない。

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いわゆる「歌枠」は多くのVtuberが活動の一環として行っており、Vtuberが自身のチャンネルで生歌を披露することは決して珍しい光景ではない。ただ、最近は各Vtuber の3Dモデル化が進み、より「ライブ」らしい演出ができるようになってきている。今回トワ様が行ったのも、3Dモデルを駆使したライブだった。

2020年8月現在において、バーチャル空間で3Dモデルを動かすモーションキャプチャー技術の精度は非常に高いと言っていい。小物(マイクなど)の持ち方や指の動きといった細かい課題はあるものの、人間の動きを再現するという点で違和感はほぼなく、バーチャルの存在である彼ら・彼女らの実在感を演出するには充分な水準に達している。

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しかも今回はアコースティックギターの生演奏付き。豪華だ。

さて、今回トワ様のライブは以下のセトリで行われた。

これからアーカイブを見るという方は、以下ネタバレ注意。

◎セットリスト

00:36~ ないものねだり/KANA-BOON

05:07~ シルエット/KANA-BOON

11:30~ ノーダウト/Official髭男dism

16:00~ 夏祭り/Whiteberry

21:58~ Namidairo/YUI

25:34~ プラチナ/坂本真綾

36:23~ 天球、彗星は夜を跨いで/星街すいせい

44:41~ 天体観測/BUMP OF CHICKEN

※左側の数字はアーカイブ動画における再生時間。気になった曲だけでもいいのでぜひ動画本編もご覧いただきたい。無料で視聴可能。

全体を通してまず注目したいのは、20代半ば~30代前半のリスナーに刺さる選曲である点。トワ様は今回、2週目の17歳を迎えたばかりなので彼女自身に馴染みがある曲ではなかったかもしれない。Vtuberリスナーの主な年齢層はこの辺りらしいので、客層に合わせてくれたと考えることもできる。

どの曲も素晴らしかったが、ここでは特に印象に残った2曲を取り上げようと思う。 『Namidairo』と『天球、彗星は夜を跨いで』だ。 

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常闇トワらしさが発揮された2曲

『Namidairo』は当時シンガーソングライターとして活躍していたYUIが2008年に発表した楽曲。ABC・テレビ朝日系列の連続ドラマ「赤川次郎ミステリー 4姉妹探偵団」の主題歌としても採用されていた。

恋人に迷惑をかけることを恐れてワガママになりきれない心情を仄暗いメロディに乗せたバラード曲。これをトワ様は見事に歌いこなしてみせた。特にCメロ以降の感情の込め方には目を瞠るものがあった。トワ様自身がしっかりとこの曲を解釈し、他の誰でもない「常闇トワ」がこの曲を歌い上げる意味を追求する姿勢が垣間見え、その点がこの曲を印象深くしたように思う。

Vtuberという狭いフィールドだけで見ても、歌が上手い人は多い。技術だけで比べれば、トワ様よりレベルが高い人もいるだろう。しかし、技術だけではない何かを感じさせてくれるシンガーは珍しい。彼女のポテンシャルを感じさせるという意味でも、特別な1曲になったのではないかと思う。

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そして特別といえば、『天球、彗星は夜を跨いで』を語らないわけにはいかない。この曲は同じホロライブ所属である星街すいせい(通称:すいちゃん)のオリジナル楽曲。YoutubeにアップされているオリジナルMVは2020年8月時点で300万回以上の再生回数を誇り、星街すいせいの代名詞と言っても過言ではない一曲だ。トワ様自身もMCで語っていた通り、歌唱の難易度が非常に高い曲でもある。一度聴けば、音程やリズムの複雑さが理解できるだろう。 

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トワ様から見て、すいちゃんは同じ事務所の先輩にあたる。二人はホロライブ中でも歌唱力が高いメンバーとして知られており、過去には生配信でデュエットをしたこともあった。普段の配信のふとした瞬間にこぼれる言葉などからも、お互いが実力を認め合っているのが伺える。

そういった関係性を知っているからこそ、トワ様の口から語られるすいちゃんへのリスペクトが真実味を持ち、胸に響いた。歌唱後、コメント欄にすいちゃん本人が現れ、トワ様が改めて「この曲を歌わせてくれてありがとう」と伝えるシーンも。こういったやりとりから、トワ様の人柄の良さも伝わってくる。悪魔なのに天使と言われるゆえんはこういったところにあるのだろう。トワ様マジ天使。

3D空間なら、何でもできる

さて、曲が素晴らしかったのはもちろんのこと、今回のライブにはもうひとつ着目すべき点がある。バーチャルだからこそできる、3D空間の活かし方だ。 先にも述べた『Namidairo』の歌唱が心に残ったのは、歌声だけでなく、カメラワークも素晴らしかったからだ。廃教会をモチーフにした3D空間は常闇トワのキャラクターにマッチしていたし、何より、これからのバーチャルライブの新しい可能性を感じさせてくれた点が大きい。

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『Namidairo』歌唱中のワンシーン。バーチャル空間ならではの演出だ。この空間ならば、月夜をモチーフにした楽曲もマッチするだろう。個人的にはハルカトミユキの『夜明けの月』をリクエストしたい。

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こちらは『夏祭り』でのワンシーン。シンプルな演出ながら、楽曲のテーマと空間を合致させている好例だ。それにしてもお顔がよい。ころころ変わる表情にも注目。

リアル(3次元)ライブでの演出と言えばライトや背景だが、それらだけではどうしても演出の限界があるように思う。たとえば水中を想起させたい場合、青色のライトを用いたり、水泡の映像などをバックに流したりするのが一般的で、それ以外の工夫の余地は少ないだろう(もちろん、そこに創意工夫を凝らす心意気は素晴らしいもので、それらがパフォーマンスを盛り上げる上で力不足だったと言うつもりは一切ない)。

しかし、Vtuberの3Dライブではライトや映像演出のさらに一歩先に踏み込める。先の例でいえば、水中をイメージした演出をしたければそのまま水中空間を映し、その中でVtuberが歌唱できる。これは、3次元では真似できない点だろう。

もちろん、水中はあくまで一例に過ぎない。熱い曲を燃え盛る炎の中で歌うこともできるし、曲中のストーリー、たとえば季節の移り変わりがあるのであれば、これまでよりももっと直接的にそれらを表現しながらステージングを行える。もちろん技術やコストの兼ね合いはあるだろうが、技術の進歩や業界の隆盛を見ている限り、決して夢物語と吐き捨てることはできないと思う。今後のVtuberのライブに新しい可能性を感じさせてくれたという点でも、素晴らしいライブだった。

余談だが、廃教会の3D空間は常闇トワ3Dモデルお披露目と同時に公開された。この配信にも歌唱パートがあり、『いけないボーダーライン(40:11~)』『そこに空があるから(47:55~)』などが披露された。こちらも必見。

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可能性の悪魔を推していく

トワ様自身は、翌日(8月10日)の振り返り配信で「もっと場数を踏みたい」と語っている。確かに歌詞が飛んだりテンポがずれたりするシーンがあったので、この課題感はいちリスナーとしても同感だった。

ただ、自分の課題をしっかり認識し、さらに上を目指そうとしてくれているトワ様が非常に頼もしいと思えたのもまた事実。いつか大きなステージで、堂々と歌唱する姿を見せてくれることだろう。いまからその瞬間が待ち遠しい。

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◎常闇トワ生誕後夜祭アコースティックライブ(アーカイブ

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【日記】小説とシステム開発って似てるよね、という話

最近、ふとした気まぐれでプログラミングの勉強をしている。

というのは嘘で、厳密には某RPAツールの勉強をしている。

プログラミングって言った方がキャッチーかなと思って嘘吐きました。

効率化は大好きだけどコーディングは嫌いマン(つまりエンジニアとしてはゴミ)という身分としてはRPAを好きになれそうな気がしているのだけど、今回はITについて語る趣旨ではないので細かい話は割愛。というか、まだ語れるほど勉強していない。

 

さて、前々から思ってはいたんだけど、システム開発のフローと小説の書き方は似てると感じる。

 

これは日記なので詳しい説明は省くけど、システム開発は基本的に以下の流れで進む。

 

要件定義

⇒外部設計

⇒内部設計

⇒コーディング

単体テスト

結合テスト

システムテスト

⇒リリース

⇒保守運用

 

アジャイル開発についても小説に応用できる気はするものの、まだ頭の中でふわついているのでひとまず言及しないでおく。で、上記のウォーターフォール開発の流れを小説風に言い換えるとたぶん以下のようになる。

 

やりたいことを決める

⇒ざっくりプロット書く

⇒それを細分化・具体化する

⇒実際に書く

⇒章や節ごとに推敲する

⇒前後の繋がりをチェックする

⇒全体を推敲する

⇒投稿

 

保守運用に当たるのはマーケティング活動なのかもしれないが、いまは書き方の話なので除外。

このシステム開発の流れというのはたくさんの頭のいい人たちが時間をかけて編み出した王道なので、これを参考にしない手はないと、前からぼんやりと考えていた。

 

『やりたいこと』とはテーマ(題材)でもメッセージでもシーンでもトリックでも何でもいいと思っている。とにかくその作品のなかでおまえが実現したいことはなんなの? という問へのアンサーを心のエミネムさんに投げ返すフェーズだ。これが固まっていないと途中で小説がゾンビ化し、頭から手が生えたりする。

これってまさに要件定義と同じじゃないか。システム開発の場合は案件が炎上してPM含めたチームメンバーの胃が捻じ切れる程度で済むが、小説の場合は取り返しがつかないままゾンビを世に放ってしまう場合があるので怖い。いや、それはシステム開発も同じか…。

ともかく、やりたいことをまず固める。そしたらそれを実現するために何が必要なのかを洗い出す。機能一覧を作るイメージだ。

要件定義ではここで非機能要件まで固めるのがベストだが、小説の場合は言語化できない部分がそれに該当したりするのである程度は割り切った方がいいと思っている。どういうシーンやキャラクターが必要なのか、というところを詰めていければ充分じゃないだろうか。

その次はそれらをどのように並べ、繋げていくかを考える。そうだね、外部設計だね。ここまでは自分もそれなりに出来ていた気がする。

で、問題は次だ。だいたいの流れを作ったら、今度はそれらを「だいたいの」じゃなくて「細かい」にまで落としていくフェーズ。

自分はこれまでどうしていたかというと、この内部設計にあたるところをすっ飛ばしていた。わりとプロットを詰めるほうだと思っていたし、さらに悪いことにそれを公言してしまったこともあった。でびでびでびる様もびっくりの愚かさである。にじさんじをよろしくお願いします。

で、プロットが大まかなまま走り出すとどうなるか。そりゃ当然、本文で躓く。設計がクソな案件が燃えるのと同じだ。

つまるところの反省点としてはここで、本文が進まないとしたらそれはプロットが甘いからなんじゃないの? という観点は胸に刻んでおく必要があると思ったのでこの文章を泣きながらしたためている。

もちろん世の中にはプロットを書かずに名作を生み出せる人外がいるのは事実なので、あくまでも自分にとってという話だけど、本文に力を入れるよりもプロットをもっと厳密にやっていくほうが努力の性質的には合ってる気がしている。

話逸れるけど、前述の工程はイラストの制作過程にも似てると思う。いきなり色を置き始める神絵師も世にはいるのかもしれないが、大抵はまずラフを書いて、それを具体化して(いわゆる線画にするという作業)、それから色塗りに入っていく。素人考えだけど、いきなり色を置き始めても綺麗なものは出来上がりにくいのではないかと思う。まあ、芸術性の高さと綺麗は必ずしも結びつかないところが難しいところだけど。

話を戻すと、結局ものづくりの基本は同じなんじゃないか、ということが言いたい。発端はシステム開発からだけど、イラストも然りだし、考えてみると機械や広告を作るプロセスも本筋は概ね同じだ。

 

準備にしっかり時間をかける。

できてる人にとっては当たり前のことなんだけど、それを忘れずに創作していくのを今年の方針としておこうと思う。

 

うん、新年の雰囲気を借りることで無難なオチがついたね。ありがとうお正月。

 

 

 

【日記】想像力

貴志祐介の『新世界より』を読んでいて、人間はここまで想像できるのかと感動している。存在しない生き物や文化をここまでの解像度で文章にできるって本当にすごいことだ。人間の想像力って底知れないな、と痛感する。

一方で、どうしようもなく世界の見方が粗い人も、現実には一定数いる。

ただしそれはあくまでも「おれからするとそう思う」だけであって、もしかしたら彼らにとっての日々は精細なのかもしれない。だから客観的な言い方をするなら、焦点は人それぞれ、みたいな言い方にきっとなる。

焦点がそもそも違う。だから分かり合えないし、分かり合う必要もない。

そういう割り切りをして、なるべく距離を置き、お互いの領分を侵さないようにする。そんな生き方のほうが平穏ではある。

ただ、創作において(それを作品に落とし込むかは別として)世界に対する解像度は高いに越したことはない。『新世界より』を読んでいると余計にそう思う。なので、ふと触れ合ってしまった瞬間に、距離は取りつつ、相手の価値観に思いを馳せることは重要なのかもしれない。言い方は悪いが、養分を見逃してしまうのはもったいないからだ。

そういうときこそ想像力の出番だろう。生々しさばかり求めてしまうと、消化するのが大変だ。多少、自分の都合の良いように解釈したって、そこに整合性があるならば、十分に血肉と成り得る。火を通せばだいたいのものは食べられるのと似ている。

【ライブ感想】再出発

キーボード兼バンマスである多田さんの指先から音の雫がこぼれ、『シンキロウノチカガミ』は静かな開演を迎えました。
白いスポットライトが楠木さんと多田さんの2人を照らし、会場の空気がすっと沈み、そして、マイクを通じてほんのわずかにざらついた声が響いた瞬間、ああもう以前の楠木さんとは別人なんだなと感じたのを覚えています。

 

2019年7月28日、横浜ランドマークホールにて行われた楠木ともり2ndソロライブ『シンキロウノチカガミ』昼公演および夜講演に参加してきました。

そこで感じたこと/思ったことを素直に書き記したいと思います。

 

 

【構成】
1.印象に残った曲たち
2.成長を感じた部分
3.小ネタ
4.最近の自分について

 


1.印象に残った曲たち

すべての曲が素晴らしかったと、本心から思います。
知らない曲も多かったけれど、どれも楠木さんのカラーと想いが歌声に乗っていて、しっかり耳を傾けたいと自然と思わせてくれました。
それらの中でも特に印象に残った曲たちについて、書いてみます。


◎眺めの空/楠木ともり
言わずと知れた、楠木さんのオリジナル楽曲。
彼女のオリジナルCD〔bottled-up〕に収録されているものは何度も何度も聴いていて、どこかノスタルジックな田舎の夏を想起させる曲としてインプットしていました。乾いた木の感触でざらつく縁側に座って、肌にへばりつくような熱気と、遠くから聞こえる蝉の鳴き声と、氷が溶けて立てる、からんという音を聞いているときのような、何もなくて広い夏のイメージ。僕の中ではそんな曲でした。
CDに収録されているのはアコースティック・バージョンでしたが、今回のライブでは生バンドさんの素晴らしい演奏に支えられたロック・アレンジでした。音楽はこんなにも表情を変えるのか、と改めて驚かされました。夏らしい爽やかな青いライトの演出も相まって、ノスタルジーの中からちょっとだけ質量を持って飛び出した、よりリアルな夏を感じさせてくれたように思います。目の前で聞いたからリアルに感じるのは当たり前かもしれません。でも裏を返せばライブだからこそ感じられた感触だと思います。生で音楽を聴くっていうのはこういう良さがあるよな、と思い出させてくれた一曲でした。
驚いたといえば、この曲の作成の背景。MCで楠木さんが「自分は東京生まれ東京育ちだから田舎の夏に憧れて作った(大意)」ということをおっしゃっていて、そのことは知っていたはずなのに、ああイメージだけでここまで田舎の質感を再現できるのか、と深く感心した覚えがあります。音楽に限らずですが、体験してないことも表現できるって、クリエイティビティの成せる魔法ですよね。こういうところが人間の可能性だなと思います。楠木さん自身の才能や努力にも改めて脱帽です。

 

◎クローバー/楠木ともり
こちらも〔bottled-up〕に収録されている楽曲。初めて聞いたとき、いや、初めて存在を知った時から、僕の中では楠木さんの代表曲です。そこに関する詳しい経緯は以前のブログに書いたので割愛するとして、今回のジャズ・アレンジも非常に素敵でした。
こちらもライトによる演出が印象的でした。特に落ちサビでステージが怒りの色に染まった光景は目に焼き付いています。
MCでご本人もお話ししていましたが、この曲は決して明るい曲ではありません。曲が生まれた背景もちょっとつらいです。ただ、過去に感じた嫌な想いを楽曲として昇華することで前向きな意味を持たせようとする彼女のクリエイターとしての姿勢が、僕はとても好きだし、尊敬しています。
マイナスを曲に乗せて歌い、プラスに変換すること。それを彼女は「武器にする」と語っていました。もう少し温度の低い言い方をするなら、たくさんの聞き手の前で曲を披露することで、マイナスは「価値」になるんですよね。経験価値と言ってもいいかもしれません。負のエネルギーから生まれたものも、表現することで、誰か(今回の場合、ライブ会場にいた人たち)にとっての体験になる。全員にとってそうだったかはわからないけど、その体験がプラスの感情を引き起こしたのなら、その表現は独りよがりのものではなくなったと言っていいでしょう。それは誰かにとっての武器になるかもしれないし、防具にもなるかもしれません。
嫌なことがあっても、それを表現して、誰かの胸に届けることで、世界はちょっとだけ前向きになる。そういう信念を感じるので、僕はこの曲が大好きです。

 

◎カブトムシ/aiko(カバー)
言わずと知れた名曲。僕はaikoさんをちゃんと聴いたことがないんですが(ごめんなさい)それでも知っているくらいにメジャーな楽曲をチョイスしたのはちょっと意外でした。というのも、前回のライブでは「みんなが知らない曲をやる」と公言していたような一面が彼女にはあるからです。
ただ今回はファンからのリクエストを募り、その中からも披露する楽曲を選ぶという取り組みをされていたので、その点、前回よりも双方向性のあるライブだったように感じます。後述もしますが、このあたりに楠木さんの成長を勝手に感じていました。
楽曲そのものの話で言うと、aikoさんの丸みのある歌声とは異なり、若さの尖りが声に出ていたように感じました。似せるだけではカバーの意味がない(ただのカラオケになってしまう)と思うので、カバーの意義を果たす、素晴らしい仕上がりだったと思います。
また、そういった側面を感じながら、「楽曲の継承」というフレーズが脳内に降りてきました。世代が変わっても歌い継がれていくという点は、音楽という表現の強さと柔軟性だなあなどとぼんやり考えながら、楽しそうに歌い上げる姿を眺めていました。

 

◎ロマンロン/楠木ともり
最高かよ。
もうその一言に尽きますね。胸ぐら掴まれた次の瞬間に突き飛ばされるような、周りのペースを1mmも考えていないわんぱくソング。作曲についてはなんの知見もない僕ですが、作ってて楽しかっただろうな、ということだけはわかりました。
ごちゃごちゃしたことを考える暇もなく、ただひたすらに楽しめた一曲です。これからのライブの定番ぶち上がり枠になっていく気がします。タオル回し過ぎて腕がとれそうでした。

 

◎アカトキ/楠木ともり
新譜『■STROKE■』に収録されている楽曲。今回は予習なしでライブに臨んだんですが、勝手にアップテンポな曲をイメージしていたので良い意味で裏切られました。何度も繰り返される「アップデートしていこうよ」というフレーズが刺さりました。これについては長くなるので後述します。

 

 

2.成長を感じた部分
いち観客としては非常におこがましいですが、前回のライブと比べて成長したなあと感じた部分がありました。前回のライブは(あえてそういうコンセプトにしていたのは理解していますが)一方的な表現だと感じていました。「これが私だ!」と声高に叫ぶような構成で、それはそれで初ライブのコンセプトとしては適していたと思います。いわば自己紹介的な位置づけのライブでしたから。
対して今回は双方向性がとても意識されていたように思います。それはたとえば楽曲リクエストを事前に募った点や、ライブ中の視線が前回よりも客席に向けられている点などから感じられました。積極的に手拍子や掛け合いを望んでいた様子からも、みんなと一緒に作っていくという意思が強く感じられて、ああもうこんなに視野が広がったんだなあと感慨深くなりました。
歌う姿も堂々としていて、手探り感は一切感じませんでした。前回のライブからまだ1年も経っていないのが信じられません。僕は彼女の活動をすべて追っているわけではありませんが、僕の想像以上にたくさんの経験を積み、その中でたくさんのものを吸収してきたことが伝わってきました。
グロッケンやトランペットなど色んな楽器にも挑戦していましたし、もう伸びしろしか感じませんね。これからの活躍がさらに楽しみになりました。

 

 

3.小ネタ
ちょっと息抜き。
小さいけれど思い出に残ったシーンなどについて。

 

◎ライブTシャツ
今回のライブTシャツ、デザイン的にすごく好きなやつで嬉しかったです。僕は黒を買いました。私服OKの職場なので日常的に着ていくつもりです。
アンコールの際には楠木さんも着ていましたね。白のとき(昼公演)には袖の部分に赤いリボンを、黒のとき(夜講演)には胴回りに黒いレースのようなものをあしらっていたように見えました。

 

EPSONと三角コーン
昼公演のアンコール時に起きた事件。ご本人が口止めしていたので、詳しいことは内緒です。

 

◎ギターの名前
実はけっこう真剣に考えて応募していたんですが、残念ながら採用されませんでした。ただ、ルカくんは素直に良い名前だと思ったので完敗です。

 

◎押忍!
ついにオフィシャルになりましたね。前回のライブでも印象に残っていた仕草だったので、なんとなく嬉しかったです。
バンドメンバーの皆さんも楽しそうに演奏していて素晴らしかったです。ただ、前回のライブで演奏されていたanzuさん(@anzunooto)がいなかったのはちょっと寂しかったです。彼女のハモリがすごく綺麗だった記憶があるので、またいつか同じステージに立っていただきたいです。

 


4.最近の自分について
さて、ここからは完全に自分語りです。

 

終盤のMCで、今回のセットリストの意味がご本人の口から語られました。曰く「夢に向かって頑張る人に向けてのセトリ」だったそうで、僕は衝撃を受けました。というのも、最近の自分は夢に向かってあまり頑張れていなかったからです。

 

「自分の小説を全国の図書館・図書室に置いてもらう」
それが僕の夢です。
叶えるためには当然、小説を書く必要があります。
わかっているのに、最近は読書こそ継続しているものの、書く方がほとんど進んでいませんでした。文書ファイルを開いても、キーボードが指を受け付けてくれなくなったかのようで、一文字も書けず、歯を食いしばる心地で指を動かしても、数行進めば良い方でした。

 

才能ないな、と思いました。プロの小説家としてやっていけるのは、とにかく書かなければ落ち着かないくらいの人だけだと、ある作家が言っていました。どう考えても自分にその素質はありません。毎日書きたくてしょうがないなんて、たぶん思ったことないです。書きたいものは常に胸の中に渦巻いてはいるけれど、アウトプットの欲求がついてきません。昔からなんでも抱え込みがちな性格なんですが、それがこんなところにも災いしているのかもしれません。

ともかく、毎日書きたい!という衝動を持ってない自分にはもう無理かもしれないと、そう思っていました。

 

自分の実力がないことを認めたくなくて、逃げていたんだと思います。サボる言い訳だけはすぐに用意していました。仕事で疲れてるとか、パソコンの調子が良くないとか。考えれば解消する方法はいくらでもあるのに、それすらしませんでした。
虚無感。人生が余った。そういう感覚がありました。自分には無理かもと思って、才能ないって思って、毎日頑張れない自分が情けなくて、そんな自分と向き合いたくなくて、ただ怠惰に時間を過ごしました。

 

そんな折、ステージの上で楠木さんがこんな話をしてくれました。

 

今回のセトリは、夢に向かって頑張る人を応援したくて組んだ。
夢を追っていると、自分の嫌なところに向き合わなくちゃいけない。
他人に邪魔されるかもしれない。
挫折はいつもすぐ近くに落ちている。
でも、やり続けた人しか夢は叶えられない。
みんなには挫折を拾い上げてほしくない。
だから、今日のライブを聴いて、みんなの気持ちが前向きになったら嬉しい。

 

それを聞き、魂を正された心地でした。

 

こんな素晴らしいアーティストに出会えただけでも御の字なのに、応援までしてくれている。これでやらなきゃ嘘だ。情けない自分から変わろう。変われる。
素直にそう思えたんです。
挫折に伸ばしていた手を、引っ込める決心ができました。凝り固まっていた心の根っこのほうがほぐされるような感覚でした。

 

そして、そうなって初めて、自分が一人で苦しんでたことにすら気づいてなかったなあ、なんてことも思いました。
雪の日の指先がだんだん痺れて寒さを感じなくなるように、苦しいという感覚すら麻痺しかけていたようです。

 

楠木さんのおかげで、冷え切っていた指先にも血が巡るようになりました。
いま、小説ではないけれど、こうして自分の気持ちを文章にできていることが何よりの証拠です。
涼むというコンセプトとは違うかたちの受け取り方かもしれませんが、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

やっと夏を始められそうです。
地鏡(逃げ水)だろうがなんだろうが、立ち止まり続けるよりはマシだと思うので、それに向かってまた進んでみます。

 

なので、最後にライブの感想をまとめるなら、
「再出発のエネルギーをくれてありがとう」です。
次のライブは胸張って遊びに行けるよう、自分のアップデート頑張ります。

【日記】創作は正解がないから面白いのにどうしても正解に辿り着きたいと思ってしまう。

そりゃあ最低限の日本語力は必要かもしれないけれど、小説って好きなようになんでも書いていいはずなんだ。キャラクターが平凡だっていいし、ストーリーだって奇抜で斬新なことが正解ってわけでもない。それらを頭で理解していても、なぜか「正しい答え」を求めてしまう。

最近、小説を読んでいてもお手本になるかどうかという観点で読んでしまうことが多い。自分なりの正解を求めればいいんだからお手本なんていらないはずなのに。まあ、これは極論かもしれないけど。

賞を獲ろうと身構えてしまっているからだろうか。もっと楽しく自由に創作をしたい。少なくとも初稿を書き上げるまではそれでいいはずだ。まずは自由に書いて、後で直せばいい。わかってる。わかってるんだよ。

問題は他にもあるかもしれない。たとえばキャラクターメイキングについて。そのキャラクターを通じて書きたいこととそのためのストーリーを考えることはできても、彼らのどういう姿が見たいのかが浮かんでこない。彼らの自然体がわからない。まだまだ作り込みが甘いからだろうか。ある人は書きながらキャラクターを構築していくと話していた。なんでそんな芸当ができるのかわからない。もっとも、その人とはキャリアが違いすぎるので参考にすべきではないのかもしれないが。

もっと気楽にやっていい。別に賞のためだけに書くわけじゃない。お手本とか正解とか、考えすぎなくていい。お手本が見つからないということはオリジナリティがあるということ。正解が外にないということは新しいということ。自分で面白いと思えればそれでいい。やりたいようにやれ。理屈にとらわれすぎるな。意味に縛られるな。そう自分に言い聞かせる。文章化することで何か変わることを期待している。

 

【日記】ソシャゲをやめて思うこと

この1週間くらい、ソシャゲ断ちをしている。結果的に小説に使える時間が増えた。当たり前のことではあるが、やってみるとその影響の大きさに驚く。

これまで無意味にソシャゲを起動して美少女を眺めていた時間がどれほど多かったのか、身に染みてわかった。いちばんの変化は、なんとなくソシャゲをしていた時間がポメラや小説を開く時間になったこと。ポメラを買った影響も大きいかもしれないが、実感としてはこれがPCであっても近い結果になっていたように思う。尚、読書に関しては毎日できている。

もちろん意味もなくTwitterを眺めてしまう時間があったりもするので万全とは言えないが、それでも少しは時間の使い方がマシになった感じがする。

念のために書くが、別にソシャゲ文化を否定したいわけではない。それで日々の生活が彩られる人も多いだろうから。ただ、自分の場合は距離を置いたほうがいいのかもしれないという話。

ソシャゲに名残惜しさがないとは言わないが、しばらくはこのままの生活スタイルを続けていくつもりだ。小説への課金額は今まで以上に増えたけれど、まあ回り回って自分のためになると思っておく。ちなみに光文社さんが企画している乃木坂文庫はとりあえず5冊買った。アイドルは断てそうにない。

 

 

【日記】自分自身に承認されたい。

こんな欠陥だらけの人間でも、まあ生きていれば温情に出会えるもので、小説や仕事について褒めてもらえる機会がある。

それはとても嬉しいことだし感謝の気持ちが生まれていることについては間違いない。評価してくださってありがとう、と。

一方、投げかけられたあたたかい言葉たちが心の奥まで響いているかと言われると否である、というのもまた本当だ。

 

なぜなのか。

根本的なところで他人を信用してないからかもしれないと思い至った。ひねくれた原因について語ってもいいが、長くなるので今は置いておく。

ただ、そんな自分からしても、この世でただ一人、決して嘘を言わないと確信している人物がいる。自分自身だ。だから、自分で自分を褒められると思えたときは、心の底から喜びが滲み出てくる。

 

自分で自分を認めるために、周りの声はあまり影響しないのかもしれない。少なくともおれの場合は。

自分が決めたことに対してどれほどコミットできたかで満足度が決まる。自分の内側に価値基準がある。これを『内向的』と言わずしてなんと言う。

 

自分で自分を認める。

あるいは、自分自身に勝つ。

ありきたりな言い方だけど、いちばん望んでいるのはその快感なのかもしれない。

 

問題は、ここのところ負けっぱなしであることだ。成果を出していないわけじゃないが、理想とはほど遠い。もっともっと本気で、自分を叩き伏せるつもりで、頑張らなくてはいけない。わかってはいるんだ…。

 

停滞は死だ。どれだけ僅かでも、行動したことには価値がある。そう思い込んでしばらく這い進んではいるものの、いい加減、この天井の低いトンネルを抜け出したい。出口はまだまだ先なんだろうか。せめて光明くらいは見える位置に辿り着きたい。そうしたら、少しは自分を認められる気がする。