無駄はない。

論理的に、そして感情的に。

なんとなくAqoursを楽しめない

<前提>
μ'sとAqoursについて3次元的な動きも含めてある程度知っている読者層を想定しています。
 
 
なんとなくAqoursを楽しめない。
 
最近、これで煩悶としていました。
 
決してAqoursを嫌いになったわけではありません。
名古屋も神戸もLVで参加しました。埼玉も参加します。冬にはファンミも行きます。
 
でも、何かが胸に詰まっていて、楽しみきれていない自分がいる。
 
その原因はいったい何だろう。
考えて、いくつか思い当たったことがありました。
今回はそれを吐き出します。
 
 
■あくまでも綺麗なのは小宮さんでしかなかった。
 
鬱念を抱いたきっかけはHPTT初日のLVです。
 
G線上のシンデレラ、とても良かったですね。
顔立ちや長い手足が映える深紅のドレス。恐ろしく似合っていました。嘆息するくらい。
ダイヤさん推しというのもあり、パフォーマンス中はずっと小宮さんに見惚れてしまいました。
 
ですが、心酔の一方でふと感じてしまいました。
小宮さんは文句なしに綺麗だ。
でも、あそこにダイヤさんはいない、と。
 
それからいくら意識しても、次元の異なる2人の姿を重ねることはできませんでした。
他のキャストについても同様です。
 
次第に、キャラクターが表面的にしか存在しないという感覚が芽生えてきました。
ステージにいるのは「18人」ではなくあくまでも「9人の代役を果たす9人」だな、と。
 
ライブ後にタイムラインで感想を追っていても、ほとんど誰もキャラクターの名前を出していない
そういった気付きも手伝って、その感覚はより強くなっていきました。
 
理由を考えました。
・単に時間の積み重ねが足りない。
・公式による声優先行の展開が影響している。
・アニメの放送がない時期だった。
 
それなりに妥当性はあると思います。
ただ、いくら理性で納得しようとしても腑に落ちませんでした。
後から考えると、これらは確かに要素ではありましたが、真因ではなかったからです。
 
 
■比較は避けられなかった。
 
立ち返って考えました。ラブライブって、何が良いんだっけ。
 
キャストとキャラクターがシンクロするパフォーマンス。
その点は間違いなくラブライブの魅力のひとつですし、ライブでも確かに成されていました。
 
それなのに、どうしてステージ上にキャラクターの存在を感じられなかったのか。
 
思考はどうしてもμ'sとの比較へと向かいます。
 
パフォーマンスのクオリティが低かった?
否、むしろ先代よりも難しいことに挑戦し、尚且つ結果を出している。
 
キャストの想いが不足している?
それも断じて違う。
「一緒に」「ひとつに」といったスタンスの差は個々あれど、全員が真剣にキャラクターと向き合っている。
 
あれも違う、これも違う。
考えて考えて、やはりこれしかないと思い至りました。
 
2次元と3次元の物語がシンクロしていたか、という相違です。
 
 
■僕にとっての2.5次元に必要なのは、統一感だった。
 
μ'sはアニメの内容と現実が重なっていました
メンバーもグループも本当に小さなところから始まり、やがて夢の大舞台に辿り着く。
そのストリームが2次元でも3次元でも実現していた。
それを指して僕は『奇跡』を目撃したように感じていました。
 
次元を超越した物語的シンクロが存在した。
ゆえにキャストとキャラクターが人生を共有しているように感じられた。
キャストの人生がキャラクターに血肉を与え、ひとりの人間として成立させたかのように感じられた。
だからこそ、ステージの上でも彼女たちが重なって見えた。
 
ここで重要なのは、グループというマクロな視点においてもそれが同じだったということです。
キャストの物語とキャラクターの物語がシンクロし、尚且つ、もっと大きな枠組み――即ちμ'sというグループの物語として見ても、2次元と3次元がシンクロしていた。
キャストとキャラクターだけの繋がりじゃない、より立体的なシンクロがあった。
だからこそ、ラブライブというコンテンツ全体が織り成す物語に違和感なく没入できた。
 
つまり、僕にとってはメンバーとグループの物語が統一的にシンクロしている点が重要だった。
ここに至り、ようやくそのことを自覚しました。
 
■期待の仕方が間違っていた。
 
同じラブライブコンテンツなのだから、Aqoursも2次元と3次元が物語的にリンクしている。
そう思い込もうとしていた節は、僕自身ありました。
 
ですが、事実として、3次元のAqoursは田舎の片隅で生まれたグループではありません。
始動の時点で、グループ(コンテンツ)としては華々しい道筋が用意されていました。
この点が2次元の物語とは大きく食い違っている。
 
メンバーとキャストの視点に立てば話は別かもしれません。
目立ったキャリアがないところから、1stライブで横浜アリーナを埋めるほどの力を持ったコンテンツを背負う。
重圧は凄絶を極めたでしょう。
ゼロからイチに至るまで、幾多もの挫折を乗り越えたのでしょう。
 
しかし、メンバーというミクロな視点と、グループというマクロな視点は別物です。
高海千歌』と『伊波杏樹』の物語はシンクロしているかもしれないけれど、『2次元Aqours』と『3次元Aqours』の物語はシンクロしていない。
先程述べたように、グループ視点では始動時点における環境がまったく異なっているからです。
 
この相違が原因で、Aqoursを取り巻く物語全体の統一感が損なわれている。
統一感の欠如が無意識下で障壁となり、Aqoursの物語への没入を許さなかった。
ひいては、ステージ上にキャラクターの存在を感じ取れなかったことに繋がった。
そういうことだったのだと思います。 
 
もちろんAqoursに責任はありません。
期待する側が100%間違っている。これはそういう問題です。
 
僕は何も考えずに期待してしまっていた。
統一感への拘りを棄てきれず、あまつさえそれを幻視し、強引にAqoursに当てはめようとしていた。
 
その歪みこそが鬱念の真因だったのだと思います。
 
■μ'sコンテンツを増やして欲しいかといえば、答えはノーである。
 
脇道に逸れますが、この辺りは誤解されがちな問題なので補足しておきます。
Aqoursはμ's と違う。だからμ's を復活させろ。そんなことはまったく考えていません。
 
理屈と感情の両面から納得しているからです。
 
①ビジネス的な理由
選択と集中。これに尽きます。
大前提ですが、いくら儲かっていようとコストは限られています。
そして消費者の視線をμ'sとAqoursに散らしてしまうのはロイヤルティの形成戦略としてあまりよくない。
ゆえに投資をAqoursに偏重するのは合理的です。
 
もちろんμ'sコンテンツにも需要はあります。
ただ、冷ややかな言い方ではありますが、その需要が拡大する可能性は低いでしょう。
3次元の活動が継続していない以上、どうしても推進力は落ちてしまいますから。
 
コストとリターンが見合わない。だからリソースを割かない。シンプルな理屈です。
 
②感情的な理由
これは僕自身の感覚の話です。
μ'sの物語はもう区切りがついている。
『μ'sはこれからも続いていく』というのはコンテンツとして継続するという意味ではなく、心のなかに在り続けるという気持ちの問題だと僕は捉えています。
 
以上のように折り合いをつけているので、僕はμ'sコンテンツの展開を望んでいません。
 
 
■プロとしての自覚を求めるべきか否か。
 
これも脇道です。
 
繰り返しますがAqoursのことは好きです。
ただ、好きだから全肯定というのは性に合いません。それは思考停止であり、盲信だと思っています。
 
2人ほど、悪い意味で気になった人がいます。
 
①逢田さん
名古屋の1日目でも神戸の1日目でもミスをしていました。
1stのときに伊波さんが『ライブだから!』とフォローしていたのを思い出します。
確かに、想定外のアクシデントも含めてライブという考え方もあるでしょう。
 
ただ、プロなんだから基本的に失敗は許されない。
それを笑って誤魔化してはいけない。それは開き直りです。
心の中では猛省していて、でもファンの前で暗い顔を見せてはいけないと思った末の言動かもしれない。
だから態度を批判するつもりはありません。
しかし、これからも『ライブだから!』を免罪符にしてしまうのではないか、と不安に思ったのも事実です。
 
1stの後にインスタに投稿していたメッセージがとても好きなんです。
みんなは、最高のパフォーマンスだったよ!とか感動した!って言葉を沢山くれたけど、失敗は失敗。プロとしてステージに立たせて貰ってる以上失格です。本当に反省しています。
この一文から、ただ可愛いだけじゃなくてきちんとプロ意識とストイックさを持っている人なんだと尊敬の念を抱いたんです。
 
それなのに、毎回のようにミスをしているようでは、あれは表面的な言葉だったのかと疑わざるを得ません。
 
 
②諏訪さん
ツアー初日、喉の調子が悪かったそうです。
コンディションを調節して、今のベストを出すのもプロの仕事。
そう言われる一方で、期待に応えたい、期待以上の成果を出したいという気概もあって然るべき。
 
どちらもわかるんです。
ただ僕は、無理してる姿を晒さないで欲しかった。
 
お遊戯会を見に行ってるのではないので、クオリティの高さももちろん必要です。
ただそれよりも、僕は演者が楽しくパフォーマンスする姿を見たい。
 
好きだからこそ、無理をしてる姿なんて見たくない。
ファンなら誰しも願うことじゃないでしょうか。
そういったファン心理を諏訪さんは理解していたのか、という疑問が残りました。
 
 
まだ3年目なんだから発展途上で当たり前。その成長を楽しもう。
そういう考え方もわかります。
わかるだけに、結論は出せていません。
彼女たちにプロとしての自覚を求めて良いのか。あるいはどこまで求めるべきなのか。
 
 
■声優主体の展開は悪なのか。
 
ついでなので声優の話をもう少し続けます。
ステージにいるのは18人じゃなくて、9人の代役を果たす9人でしかない。
思えばこの感覚は1stのときから持っていました。
 
では、その原因は果たしてグループにおける物語的なシンクロの欠如だけなのでしょうか。
それが真因であるとは思っていますが、すべてではないと思っています。
 
先にも少し触れた、声優が先行している公式展開の影響も大きいでしょう。
声優を押し出すことで、キャラクターはどうしても半歩後ろに下がってしまう。
僕がG線上のシンデレラのパフォーマンスを見て感じたのはそういう一面だったのではと思います。
2次元と3次元のシンクロを楽しむコンテンツにおいて、その感覚は違和でしかありません。
 
では、公式は悪なのか?
今のやり方はコンテンツのコア・コンピタンスを崩壊させているのか?
 
そうとも言いきれないのです。 
 
 
■Next Step Projectの目的がなんとなく見えてきた。
 
Aqoursは1stライブ以降の動きを『Next Step Project』と謳っています。
しかし、その目的が具体的に示されたことはありません。(あったらごめんなさい)
 
では、今のStepでは何を目的としているのか。
何を達成すればNext Step Projectは完了するのか。
 
以下の記事の一部ではこう言及しています。
「Next Step!」は「出逢い」「身近に感じる」といったものがテーマとして存在しているのでは、ということ。』(掲載許諾済み)
 
こちらの記事の軸はこの言及と別にあるとは思うのですが、僕は上記一文を読んで納得したんです。
『出逢い』をキーワードにしてファンとの接点を増やしていく。
『会いにきてくれる』という期待を高めてロイヤルティを形成していく。
これらもきっと正しい戦略なのでしょう。
 
一方で、僕は別の可能性も考えました。
キャスト自身のレベルアップも目的のひとつではないか、と。
 
2.5次元コンテンツ市場をざっと見ていてもパフォーマンスのレベルは底上げされています。
それに伴い、消費者の期待値も上がっています。
ハイクオリティなパフォーマンスを担保しなければ、そもそもコンテンツとして生き残れないでしょう。
 
ゆえに、キャストのレベル上げ期間として『Next Step Project』が設定されている。
過密にも見えるライブスケジュールからしても、そんな気がするのです。
 
ならばキャスト自身が積極的に前に出て生のリアクションを吸収していくのは自明であり、悪と断じることはできない。
ただの声優コンテンツに収まらないラブライブらしさを出していくのは、更に次のStepでの話である。
今回の鬱念を起点に、願望も込めて、僕はそう結論付けました。
 
蛇足ですが、声優を先行させる展開を感覚的に受用できるか否かが何に起因するのかも興味深いところです。
個人的には、『性別の違い』『性欲の強弱』『恋人の有無』などに相関があると睨んでいます。
要はキャストを疑似恋愛対象として見るか否かという話なのですが、根拠に乏しいのでここでは掘り下げません。
 
 
■結局、Aqoursの独自性とは何か。
 
本筋に戻ります。
 
ライブパフォーマンスという面だけを切り取ると、別にラブライブである必要はない。
それが今の僕が持っている結論です。
 
敢えて名前を出すことはしませんが、他の2.5次元コンテンツにおいてもパフォーマンスや楽曲は魅力的です。
キャラクターと真剣に向き合い、ステージ上で再現しようとするスタンスも、Aqours固有のものではありません。
 
では、Aqoursだけが持っている価値とはなにか。
 
考えるまでもなく沼津という土地に行き着きます
界隈を見ていても、Aqoursほどある現実世界の一地域と密接に関わっているコンテンツは他にありません。
ということはこの点こそAqoursの独自性であり、本質的な価値の在り処のように思えてきます。
 
沼津という土地で起きるムーブメントやそれを起点とした文化や人々との交流。
そういった、一見すると副次的な産物と思えるものにこそ、Aqoursの本質があるのかもしれません。
 
沼津を知らずして、Aqoursの本当の魅力を知ったとは言えない。
そう断言してもいいとさえ、今の僕は考えています。
 
 
■期待の質を変えていく。
 
最後になります。
キャストとキャラクターのシンクロも確かにラブライブの魅力のひとつです。
けれど、先に述べた理由から、僕はそこに期待しすぎないようにします。
 
もちろんキャストの頑張りを否定するつもりはありません。
2.5次元アイドルというコンテンツである以上、それはそれで間違いなく尊い価値のあるものだと思います。
 
ただ僕は、どうせならAqoursならではの楽しみ方を追及したい。 
鍵は沼津という土地にあるはずです。
 
明確な答えはまだ見えていません。
そもそも、述べてきた考えが間違いである可能性も多分にあります。
それを確かめるために、これからも沼津や各種イベントに足を運びたいと思います。
 
どんな風に沼津を変えてくれるだろう。
沼津を通じて、僕たちにどんな出逢いや感慨をもたらしてくれるだろう。
 
そういう期待の変質を肚に落とし込んだ上で、これからもAqoursを応援しようと思います。
 
以上です。