無駄はない。

論理的に、そして感情的に。

僕は、生身の南條さんが大好きだ。

※・R・i・n・g・ツアーのネタバレを含んでいます。dアニメストアでの配信を楽しみにしている人はご注意下さい。


■僕は、生身の南條さんが大好きだ

……言うまでもなく、南條さんの身体が好きという意味ではない。女性に対してそう断言するのは失礼な話かもしれないが、僕は南條さんに女性的な魅力を求めていない。僕はあくまで南條さんの人生観や人間性に惹かれているということをあらかじめ強調しておく。
fripsideのボーカル』でもなく『○○役の南條愛乃』でもない、生身の『南條愛乃』だけを僕は追いかけている。もちろん他の側面を否定するつもりはない。ただ、僕にとって一番興味があり、趣味が合うのは、生身の南條さんだという話だ。

格好つけていいところでも格好つけない、その自然体なところが好きだ。
僕はとても見栄っ張りで、そんな自分が嫌いになることもよくある。だから南條さんのように自然体・等身大でいる(あるいはそうであるように見せる)ことに憧れているし、それができている南條さんを尊敬している。

‟誰かの気持ち代わりに歌うなんて 大きなことはできないけど 寄り添えるような曲になったら” 

南條さんは楽曲のなかでも等身大だ。すべての曲がそうだとは言えないが、想像ではなく実体験から得た気付きを基に楽曲を仕上げている印象が強い。とある夢を追いかけている僕からすると、これはとんでもなく勇気がもらえる。1stフルアルバム『東京1/3650』などは顕著で、夢に向かって努力していた過去の南條さん自身の心の動きが垣間見える。
――本当にやっていけるのかな。不安だな。でも自分を信じて頑張ろう。そう思ってもうまくいかないことがある。理想とは違うな。諦めようかな。ちょっと距離を置いてみよう。でもいつの間にか、そのことを考えている。やっぱり、だいすきだ。自分を信じて明日からまた頑張ろう。不器用な生き方でもいいじゃない。すこしずつかもしれないけど、きっと、成長できてるよ。
南條さん自身の実体験を伴っているからこそ、これらのメッセージには説得力がある。僕自身、経験したことのある気持ちも多く(というかほとんどがそうだ)、どうしたって共感してしまい、それでいて今の南條さんの活躍を見ていると、自分だって!という気持ちにさせてくれるのだ。

ここで少し自分語りをさせてほしい。ミステリ作家になるのが僕の夢だ。その夢を追い掛けようと決意する一助になってくれたのが、他でもない、南條愛乃さんその人だった。
のぞえりラジオガーデンという伝説の番組がある。僕は狂ったようにそのアーカイブを聞き漁っていた時期があったのだが(というか実際狂っていたと思う)、そのなかで出会ったとある回で、リスナーからこんな質問が届いていた。
‟お二人が声優になってよかったと思うことはなんですか?"
これに対し、南條さんはこう答えた。
‟無駄がなくなった"
どういうこと?と相方である楠田さんから疑問の声が上がる。

南條さん曰く、‟(要約)日常のなかで悲しいことやつらいことを経験しても、それも演技に活かせると思えるようになったから、人生に無駄がなくなった。”

まさに目から鱗だった。声優に限らず、表現の道を追求している限り、決して人生に無駄な瞬間は訪れないのだ。それってなんて素晴らしい人生だろうと思った。僕は貧乏な家庭に育ったためか『無駄なく』とか『効率的に』という考え方が骨の髄まで染み付いている。そのバックボーンも手伝って、南條さんの言葉はとても心に響いた。僕が作家を志そうと思った理由のすべてが南條さんのその言葉だったというわけではないが、僕の人生においてひとつのターニング・ポイントになったのは疑いようがない。

僕が書いたとある同人小説のなかでも、過去にあった悲しい出来事やそのときに感じた暗い気持ちをキャラクターの心情表現に活かすことができた(不出来ではあるが、その挑戦をしたこと自体に価値があると思っている)。そして実践してみてやはり思った。南條さんの言う通りだった、と。人生に無駄がなくなった、と。‟過去は変えられない。でも過去の意味付けは変えられる”とは僕の先輩の言葉だが、この体験を経てようやく腹落ちした。つらい目に遭った事実は変えられないが、その体験に意味を持たせられるかどうかは自分次第なのだ。僕の場合は表現に昇華することで、あらゆる過去を意味のあるものに捉え直すことが可能になった。南條さんが気付かせてくれたこの人生観はきっと、死ぬまで続くだろう。……余談だが、お察しの通り、当ブログのタイトルもこの人生観を反映させたものだ。

声優と作家では表現方法に差異こそあるが、表現者として本質的な部分はやはり共通らしい。だからこそ、僕は思う。南條さんのような、等身大のクリエイターになりたいと。難しい言葉で格好つけたり想像だけで語ることはせず、地に足をつけて、自分の弱さを認め、謙虚に、しかし芯のある言葉と物語を用いて、誰かの心を救いたい。夢中で読み進めていって、最後には気持ちが前を向く。そんな作品を書く。‟書きたい”でも‟書こうと思う”でもなく、‟書く”。この言葉選びが、僕なりの決意表明だ。

自分語りはここまでにする。お目汚し、失礼。


■僕は『可愛さ』を求めない。
南條さんの話に戻ろう。かねてから思っていた、南條さんの魅力に関する疑問を書こうと思う。
「南條さん可愛い!」という声をよく聞く。SNS上でもそうだし、ライブの幕間でもそんな声が飛び交う。同志であるごきんじょさん*1たちに敢えて1つだけ問うとすればこの点だ。南條さんの魅力は果たして『可愛さ』なのだろうか?
いや、別にその価値観を否定したいわけじゃない。ただ、『可愛い』を伝えたり求めたりすることで、南條さんに無理をさせてはいないだろうか、という心配を僕はしている。
idc』では‟本当は可愛いが苦手です 早めに気付いてね”と、『ゼリーな女』では‟期待通り振る舞うとか 実はうまくできるんだ”と歌っている。この2曲のテーマ(モデル)が南條さん自身であることは、収録アルバムのコンセプトからして明らかだ。加えて、今回のツアーでこれら2曲が続けて歌われたことからも、僕はその意味の繋がりを考えてしまう。

“可愛いと言われるのは苦手だけど、君たちが可愛さを求めてるなら可愛く振る舞うよ”

そんな風に南條さんがぼやいている姿を思い浮かべてしまうのは、誇大妄想だろうか。
もちろん商業活動なのでお客さんのニーズに応えることもある程度は必要だ。南條さんに可愛さを求めるあなたの価値観も決して間違いではない。しかし僕はこう考える。南條さんには、ニーズに捉われすぎず、自由な表現を追求して欲しい、と。なぜなら僕はありのままの南條さんが好きだから。
どうも苦言じみた言い方になってしまった。共感してくれとまでは言わないが、そういう考え方もあるかもな、くらいに思っていただけたら幸いだ。


■・R・i・n・g・ツアーの感想
さて、さんざん語ったような気分ではあるが、ここからが主題だ。
3rdフルアルバム『サントロワ∴』を引っ提げて敢行された・R・i・n・g・ツアーの感想である。
このツアーで僕が見聞きした全楽曲それぞれに感じたことはあったが、すべてを書こうとすると熱意が散開してしまうので、特に強く印象に残った楽曲に限定して感想を述べる。

尚、僕が参加したのは静岡・宮城・東京(両日)の合計4公演だ。
それぞれ注目すべき箇所を変えながら楽しんだ。特に最後の”あの曲”は4度とも違う感想を持った。その辺りも絡めて書いていく。

 f:id:Takuetsu_Ayabe:20171111114428p:plain

『逢えなくても』
南條さんの真骨頂はバラード曲であり、バラード曲といえばテーマは恋愛と相場が決まっている(と僕個人は勝手に思っている)が、実は南條愛乃楽曲のなかで真っ直ぐに恋を歌った曲は多くない。その数少ない恋愛ソングのなかでも、この『逢えなくても』という曲は、恋の普遍的な切なさを大人の視点から絶妙に表現している曲だ。大人になっても恋って難しいよね、と説くこの曲はまさに『サントロワ∴』というアルバムのテーマ(”30代の教科書”)に合致した曲と言えるだろう。特に‟大人になれば なるほどに 上手に恋ができると思ってた”という一節は、ある程度の年齢を積み上げてから歌ってこそ、実体感のある重みを持つ。南條さん自身もそれをわかっている節があり、それはつまり自分の年齢をしかと受け止めていることを示す。下手に若作りせず、大人の視点からしか描けないものを素直に表現しようとする南條さんの気取らなさが僕は好きだ。
僕、綾部卓悦(20代・男性)の恋愛経験はせいぜい人並み程度だが、それでも共感できる部分は少なからずあったのと、(言うまでもないが)南條さんの圧倒的な歌唱力が手伝って、思わず涙してしまった。これは『サントロワ∴』全体を通して言えることでもあるのだが、特にこの曲は、30代になってから聞き直すのが非常に楽しみだ。きっと感じることも変わっていることだろう。そのときは、なるべく前向きな感じ方ができていることを祈る。

 

『Recording.』
前半部分でも引用したが、この曲の‟誰かの気持ち 代わりに歌うなんて大きなことは できないけど 寄り添えるような 曲になったら”という歌詞に、南條さんらしさが詰まっていると僕は思う。しかし実を言うと、そう思い至ったのは東京公演2日目に上記フレーズを南條さんが歌い上げたときだった。ここに至ってついに(ああ、この等身大で表現するスタンスがあるから僕は南條さんが好きなんだ)と気付き、泣いた。もうべらぼうに泣いた。この曲で泣くとは思っていなかったので動揺し、直後のクラップでは無様にリズムを外す有り様だった。
この曲にはもうひとつ大好きなフレーズがある。‟どんな曲に 育つのかな”という部分だ。去年の『Nのハコ』ツアーまで遡る話になってしまうが、この曲をパシフィコ横浜で直接聞くまでは(曲って育つものか?)という野暮な感想しか持っていなかった。しかし、さまざまな曲がライブで披露される度、想い出が付与されていく。あるいは曲に込められた想いを知ることで印象が大きく変わったりもする(後述する『螺旋の春』などはまさにそのパターンだった)。こういった感覚に気付いたとき、なるほど、これが“曲が育つ”ということか!と、思わず天を仰ぐような気分になったことを覚えている。
加えて、ライブでしか実現しない南條さんの『あの問いかけ』や『あのコール』も、この曲の魅力に拍車をかけていると思う。何度でもライブで聞きたい、南條さんらしさの詰まった一曲だ。

 

『スキップトラベル』
『サントロワ∴』のなかで僕が一番好きな曲だ。忙しさを理由にして行動しない内に、時間はあっという間に過ぎていく。それじゃあ人生もったいないでしょう。とにかく今だ!と思ったら財布だけ持って一人で出かけてしまおう。きっと新しい自分に出会えるよ。そんな軽やかな気分を爽やかなサウンドに乗せて歌い、足踏みしている背中をそっと押してくれる楽曲。“私が見たい場所はたくさんあって でも後回し 忙しくて行けないよ それじゃいつならいいのかなと 考えてみたときに気づいたの きっと決めなきゃ決まらない”というフレーズは本当にその通りだと思う。友達が少ない僕は割と昔からこのスキップトラベル的なスタンスで生きてきたので、より深く共感できた。
更に言うとこの曲はバンドメンバーもめちゃくちゃ楽しそうな笑顔で弾く。僕は楽しそうに楽器を演奏する人が大好きなので、そこもぐっとくるポイントだ。
話は逸れるが、実はこの曲中にある“両手あけておいて”というフレーズに感化され、僕は本当に両手をあけた状態でライブに臨んだ。要は光り物の類を一切使わなかった。鈍器もといツアーライトを買った方が南條さんは喜ぶだろうとは思ったのだが、南條さんの歌声と僕の身ぶり手振りによるコミュニケーションの間に物を噛ませたくなかったのだ。僕自身の感謝や楽しさを道具に頼らず己の肉体のみで表現したかった、とも言える。何を言っているのかわからないと思うが僕にもわからない。南條さんに伝わっているとは思えないし、自己満足と言われればそれまでなのだが、僕はこの拘りを捨てられなかった。実際、拍手はしやすかったし、体全体で音楽に乗ることに集中できたので、好判断だったと思っている。おすすめはできないが。
尚、更にどうでもいい話なのだが、僕はNツアーのライトと今回のツアーライトが凶器となるミステリ小説を書こうとしたことがある。伝わる人が非常に限られる上にごきんじょるの友の会から怒られそうなので、断腸の思いでプロットごと闇に葬った。

 

番外編『バンドパフォーマンス』
演出の都合上、『スキップトラベル』から『一切は物語』までに着替えを挟む必要があり、有り体に言ってしまえばそのための時間稼ぎに当てられているのが、このパフォーマンスだ。中にはこれを休憩時間と捉えていた人もいるかもしれないが、僕からすれば‟これを楽しまないなんて、そんなもったいないことできるわけないだろう!”と叫びたくなるぐらい素晴らしいパフォーマンスだった。南條さんの歌だけに留まらず、こんなに格好良くて熱い演奏まで楽しめるなんて、贅沢にもほどがあるだろうと本気で思った。今回のパフォーマンスは、ロック・ジャズのテイストで進行された。アルバムのテーマに合わせて‟大人感”を表現しようとしたのだと思う。もしも本当にその意図だったなら、見事に大人の恰好良さにあてられた人間が少なくともここに1人いるので、大成功と言って差し支えないだろう。
ちなみに僕は南條愛乃バンドのメンバーが全員大好きだが、敢えて一人だけ選ぶならギターの星野さんを推す。まず、顔がいい。顔がいいので、弾いてるときは当たり前のように格好良い(僕が女性だったら確実に惚れていた)。その上、演奏していないときの立ち姿まで格好良い。自分の出番ではないときは直立不動で影に徹する姿に、プロとしての美学が見える。そして口を開けばすこし天然が入った緩い性格が見える。ギャップがずるい。アーティストとしても人間としても魅力的すぎて気軽にほっしーなんて呼べない。呼ぶけど。

 

『pledge』
少なくとも静岡と宮城ではこの曲のイントロでコールが入ることはなかったと記憶しているのだが、東京公演でついにボルテージが最高潮に至ったごきんじょさんたちが、熱気溢れるコールを響かせた。もちろん僕も例外ではなかったのだが、熱狂の最中、ある意味ではこれも『曲が育つ』だなとぼんやり考えていたことを覚えている。
しかしこの曲はとんでもなく格好良い。失礼な話かもしれないが、この曲において僕の視線はほぼずっとバンドメンバーとダンサーに注がれていて、南條さんの姿はほとんど記憶にない。それほど、パフォーマンスが格好良かった。星野さんの鋭利なギターサウンドと北村さんのパワフルなベースサウンドが会場を暴れ巡り、それを追い立てるような八木さんの豪快なドラムサウンド、その中に秩序をもたらす森藤さんの繊細なピアノサウンド(これぞバンマスの在るべき姿!)、そして可憐さと情熱を注ぐYUIMaiMai両名のダンス!これで盛り上がらないわけがない。これからもライブでの定番になってほしい、最高のアッパーソングだった。
話は逸れるが(逸れてばかりだな)、コールのことに少し触れたので書き残しておく。各方面で散々言われているように、ごきんじょさんたちは本当にマナーが良い。コールという面においては静寂に合わせて叫ぶなんてもっての他、歌詞に被るところでは一切コールをしないし、盛り上がるべきところではしっかり盛り上がる。MCの合間にも妙な野次を入れたりもしない。マナーを気にしすぎて南條さんの煽りに乗り切れない瞬間があるのは少しもったいない気もするが、僕はごきんじょさんたちの秩序を重んじるスタンスがとても好きだ。この客層の良さも、南條さんを応援し続けられる理由のひとつであることは間違いない。

 

一切は物語
舞台演出が特に素晴らしかった。曲調のギャップが大きいという意味で曲自体のインパクトも強かったが、個人的にはこの曲の舞台演出、そのなかでも光線演出が強く脳裏に刻まれている。静岡公演では運良くステージ真正面の席だったのだが、この曲を最大限楽しめるポジションだったと思っている。ボーカルが終わり、厳かなアウトロと共に空間を撫で上げる青い光線。それらが曲の終わりと同時にぴたりと三角形を縁取った瞬間、これは息をのまずにいられなかった。青で縁取られた赤い三角形の中央に凛と佇む黒いドレス姿のシルエット。今でも鮮明に思い出せる。
そしてこの曲は最終日のサプライズもすごかった。それまでの公演で先入観がついていたからか、やなぎなぎさんが登場する可能性を微塵も考えていなかった。そしてこの時、僕はなぜか泣いた。僕にとっては涙を誘うような曲ではないので不思議だったのだが、今になって思うと、ゲスト登場にびっくりしすぎて泣いたのだと思う。子供か。

 

『ほんとはね。』
カバー曲の話をする。正直なところ、『サントロワ∴』の特典CDの楽曲リストを初めて見たときは、がっかりした。知っている曲がひとつしかなかった上、その唯一知っていた曲もいかにも30代向けで、20代の身としては素直に喜べなかった。『Nのハコ』の特典カバーCDが良かっただけに、余計に落胆の度合いは大きく感じた。
しかし、今回のツアーでこの曲を生で聞いたとき、その認識は完全に覆された。
特筆すべきはやはりラストを飾るハイトーンだろう。これが、本当にもう、言葉にできない美しさだった。作家を目指している身としては悔しいが、あのハイトーンの美しさを適切に文章化する実力がまだ僕にはない。しかし恥を捨てて意地を通すならば、"澄みきった青空へ高く抜けていく一条の銀の光"とでも喩えようか。…うわあ、恥ずかしい。小説的な表現をブログで使うのは、酔った勢いで語るべきことを素面で語ってしまったときのような気恥ずかしさがある。何も見なかったことにしてほしい。
話を戻そう。この曲で顕著に現出した南條さんの圧倒的な歌唱力そのものに泣かされたのは、きっと僕だけではないと思う。万が一、この音源を聴いたことがない読者がいたら、そのまま一生手を出さないことをおすすめする。1度でも聴いてしまえばきっと、生で聴きたかったと強く後悔してしまうだろうから。

 

『だいすき』
夢を追う人間にこれほど刺さる曲もなかなかないだろう。僕自身、小説を書くことに向いていないと思うことは多々ある。理想と現実のギャップに苛まれたり、他人の作品と比較してしまう自分が嫌いになって、実際に小説から距離を置いた時間だって少なくない。しかしそれでも、自然と小説のことを考えてしまっている自分にふと気付く。そんな経験を経て、やぱり僕は小説が『だいすき』なんだなあと確信を深めていった。こういった心の動きを今こうして言葉にできるのは、間違いなくこの曲に出会ったからだ。
心が折れそうになったとき、この曲を通して南條さんに“悩んで 立ち止まっても また頑張るんでしょ?”と問われると、僕は何も言わずに頷くほかない。メンタルが病みそうになったときにやさしく背中を押してくれる、僕にとってとても大切な曲だ。今回、再び生歌を聞けて、その想いは一層強くなった。

 

『螺旋の春』
ツアーを経て大好きになった曲だ。初めて触れたときは曲に込められた意味を感じ取れず、まあ普通のバラードだなくらいに思っていた。あの頃の自分を殴りたい。
僭越ながら、南條さんの口から語られたこの曲の解説の要約を以下に書き起こしてみる。(僕自身の解釈が多分に含まれているが、概ねは合っていると思う)
“――生きていると、何度も同じようなことで悩むこともあるだろう。その度に、ああ、また同じことで悩んでる。本当に成長しないな、自分。そんな風に考えてしまいがちだが、少し視点を変えてみよう。上から見れば同じところをぐるぐる回っているだけに見えるかもしれないが、横から見ればどうだろう。同じことで悩んでいると感じても、もしかしたら螺旋のように少しずつ上昇しているかもしれない。春を迎える度に逞しくなっていく梢のように、実は少しずつ成長できているかもしれない。だから、少しだけ自分を肯定してあげてもいいんじゃない?”
以上のような解説を経て、僕の中でこの曲は完全に化けた。なんて斬新で、やさしく、嫌みのないメッセージだろう。寄り添うような曲とはまさにこんな曲を指すのだろうと、僕は認識を改めた。『Recording.』の節でも述べたが、こういった変化もまた、曲が育つということなのだろう。
素晴らしい作詞・作曲をしてくださった橋本由香利さんに最大級の敬意を表したい。もちろん、それに共感し、丁寧に歌い上げてくださった南條さんにも。

 

番外編『アンコール』
ここでは、南條さんとまったく関係ないことを話そうと思う。今回のライブツアーを経て僕自身が僅かばかり成長できたことについてだ。一歩踏み出す勇気を出せた、という話になる。
断言しておくが、これは僕以外の人間にとっては極めてどうでもいいことだ。故に読み飛ばしていただいて一向に構わない。
ツアー最終日のことだ。ステージから演者が捌けて、アンコールが会場に響く最中、僕は怖じ気づいていた。というのも、僕はアンコール!と叫びたいのに、それをしにくい雰囲気だったからだ。僕の席の周りには偶然にも物静かなごきんじょさんたちが固まっていて、拍手で意思表示はしているものの、大声でアンコールを叫ぶような人はいなかった。僕は単番で参加したので近くに知り合いもおらず、ひとりで悶々としていた。声に出してアンコールを求めたい。自分の喉を震わせて気持ちを表現したい。でも、周りは誰も声を出していないので、ここでいきなり大きな声をだしたら浮くだろう。それが怖かった。周りの視線を気にしてしまっていた。悩んでいる間にも時間は過ぎていく。もしかしたら次の瞬間には演者が戻ってきてアンコールは途切れてしまうかもしれない。もういいかな。どうせ自分の中の問題だし。そう諦めかけたとき、ふと思った。周りの雰囲気に負けて自分のやりたいことをしなかったら、これは今回のツアーに後悔を残すことになる。それは嫌だ。自分の意気地がないせいで南條さんのパフォーマンスに泥を塗るような感じがする(勘違い甚だしいのだが、このときは本気でそう思った)し、それって南條さんに対して失礼じゃないか。そう考えた次の瞬間、声が出ていた。
繰り返すが、他者からすれば本当に些末なことだと思う。アンコールの声を上げる人間がひとり増えただけの小さな変化だ。でも、僕にとっては違う。周りの雰囲気に流されずに一歩踏み出せたことは、気弱な僕にとって、大きな変化だった。そんな機会をくれた南條さんに、感謝の念は深まるばかりだ。

 

『だから、ありがとう』
この曲について語ることはあまり多くない。僕はただひたすらに”こちらこそありがとうございます”の精神で耳を傾けていた。しかし最終日だけは少し違っていた。”こちらこそ”精神が高まった果てに、思わず南條さんと一緒にこの曲を歌いたくなってしまったのだ。もちろん実際にそんなことはしていない。体ではひたすら聞き入っていた。その代わり、心のなかで歌った。南條さんが僕たちへの感謝を歌うように、こちらからも感謝を歌い返したかった。心のなかで歌うだけでは何も伝わらないのは重々承知だが、そうしないわけにはいかなかった。僕と同じように考えていた人はどの会場にも少なからずいただろうと、根拠なく確信している。

 

『・R・i・n・g・』
さて、いよいよ最後の曲だ。この曲を語らないわけにはいかない。先にも触れたが、この曲に関しては4公演とも違う箇所に着目し、違う感想を持った。
まず静岡公演。これはもうひたすら楽しかったの一言に尽きる。公演前は聞いたら泣くかもしれないと思っていただけに、意外だった。実は静岡公演当日、諸事情から携帯すら持たずに某所をひとりきりで観光する機会に恵まれた。狙ったわけではないのだが、本当に誰とも繋がっていない(つまり、縁のない)状態というのを久しぶりに体験したため、それから聞くこの曲はどんな感じ方をするのだろう…とセンチメンタルな気分で会場に足を運んだことを覚えている。しかし結論は既に述べた通り、楽しかったの一言である。ごちゃごちゃ考える余裕がないくらい、南條さんの世界観に引き込まれたということにしておきたい。
次の宮城公演では着目する点を変えた。そして号泣した。間奏の演出でのことだった。静岡公演では、三角形のスクリーンに次々に映し出されるファンからのメッセージフォトに視線を奪われていて、(ああ、南條さんは本当に愛されてるなあ……)とあたかかい気持ちで胸が満たされていた。しかしこの宮城公演では、少し視線を下げて、南條さんの背中を見ていた。南條さんは特別な行動をしていたわけではない。リズムに乗りながら三角形のスクリーンを見上げていただけだ。その背中を見て、僕は泣いた。理由は、ファンの想いはきちんと伝わるんだと安心できたからだと思う。もちろん南條さんはファンのメッセージを受け取っていないんじゃないか?と疑っているわけではない。ちゃんと受け止めてくれるひとだと思っている。ただ、やはり芸能人がいちファンの想いに対して大っぴらに反応するわけにもいかないのがこの世の中の窮屈なところだ。だからファンの想いはこっそり見えないところで本人の手に届く。しかし、見えないものはなかなか信じにくい。本当に伝わっているのだろうか、と不安になることがないと言えば嘘になる。しかし南條さんはステージの演出としてファンからのメッセージを用いることで、ちゃんと見てるよ、伝わってるよ、と僕たちの目の前で大っぴらに示してくれたのだ。ステージという巨大な仕掛けを用いて、最後の曲という大事な局面を消費して、僕たちとの繋がりを表現してくれた。なんて斬新なんだろう。なんて優しいんだろう。なんて南條さんらしいんだろう。そんな想いで胸がいっぱいになり、涙が止まらなくなった。
3度目。東京公演1日目。この回は寂しさが勝った。直前のMCで南條さんから語られた内容が直結したのだと思う。もうあと1回でツアーファイナルを飾るこの曲は聞けないんだと考えてしまい、ただただ刻み込むように聞いていた。涙こそ流さなかったが、染み入るような気持ちだった。
そして最終日。まさに集大成とでも言おうか、これまでの3公演で感じたことをすべてミックスした感情が胸に去来した。泣きながら笑う、という体験をしたのは生まれて初めてだった。ピークはやはり間奏部分で、心の底から楽しんで笑顔を浮かべ、同時に、感動と寂しさで号泣した。酷い顔をしていたはずだ。曲終盤の「絶対?」に対してのレスポンスは、心のなかでは「たのしー!」だったが実際は「ダノビィィヴォォォ!!!!」みたいな声を出していたと思う。酷い。本当に酷い体たらくだ。しかしあれほどの、名付けがたい感情の渦を経験できたのは、間違いなく僕の財産になる。
実は僕にとって同一アーティストのツアー公演に4度も足を運ぶ経験は初めてだった。正直、同じ公演を何度も聞く意味がわかっていなかった。しかし今回でようやく、その意味を理解した。仮にセトリがまったく同じだったとしても、ステージ演出という大量の情報があるため、着目するところを変えれば何度でも楽しめるのだ。CDで聴くだけでは得られない楽しみ方がそこにある。そういった新しい発見も、今回のツアーで得ることができた。たくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん考えた。本当に良いライブツアーだった。


■結局、僕はこう言いたい。
長くなってしまった。

最後に、僕がこの記事で言いたかったことを列挙し、結びとする。

 

僕は、生身の南條さんが大好きだ。
気取らないところが大好きだ。
ステージと客席との垣根を作らない姿勢が大好きだ。
幅広い表現力が大好きだ。
圧倒的な歌唱力が大好きだ。
そして、血の通った言葉で、生き方のヒントを与えてくれるから大好きだ。

故に僕はこれからも、肩書きや役柄を被っていない、生身の南條さんを応援し続ける。

 

以上だ。
こんな長文を最後まで読んでくださったあなたはとてもやさしい人だと思う。
だから、あなたにも、ありがとう。

*1:南條愛乃ファンの通称。ファンクラブ名『ごきんじょるの友の会』に由来する

なんとなくAqoursを楽しめない

<前提>
μ'sとAqoursについて3次元的な動きも含めてある程度知っている読者層を想定しています。
 
 
なんとなくAqoursを楽しめない。
 
最近、これで煩悶としていました。
 
決してAqoursを嫌いになったわけではありません。
名古屋も神戸もLVで参加しました。埼玉も参加します。冬にはファンミも行きます。
 
でも、何かが胸に詰まっていて、楽しみきれていない自分がいる。
 
その原因はいったい何だろう。
考えて、いくつか思い当たったことがありました。
今回はそれを吐き出します。
 
 
■あくまでも綺麗なのは小宮さんでしかなかった。
 
鬱念を抱いたきっかけはHPTT初日のLVです。
 
G線上のシンデレラ、とても良かったですね。
顔立ちや長い手足が映える深紅のドレス。恐ろしく似合っていました。嘆息するくらい。
ダイヤさん推しというのもあり、パフォーマンス中はずっと小宮さんに見惚れてしまいました。
 
ですが、心酔の一方でふと感じてしまいました。
小宮さんは文句なしに綺麗だ。
でも、あそこにダイヤさんはいない、と。
 
それからいくら意識しても、次元の異なる2人の姿を重ねることはできませんでした。
他のキャストについても同様です。
 
次第に、キャラクターが表面的にしか存在しないという感覚が芽生えてきました。
ステージにいるのは「18人」ではなくあくまでも「9人の代役を果たす9人」だな、と。
 
ライブ後にタイムラインで感想を追っていても、ほとんど誰もキャラクターの名前を出していない
そういった気付きも手伝って、その感覚はより強くなっていきました。
 
理由を考えました。
・単に時間の積み重ねが足りない。
・公式による声優先行の展開が影響している。
・アニメの放送がない時期だった。
 
それなりに妥当性はあると思います。
ただ、いくら理性で納得しようとしても腑に落ちませんでした。
後から考えると、これらは確かに要素ではありましたが、真因ではなかったからです。
 
 
■比較は避けられなかった。
 
立ち返って考えました。ラブライブって、何が良いんだっけ。
 
キャストとキャラクターがシンクロするパフォーマンス。
その点は間違いなくラブライブの魅力のひとつですし、ライブでも確かに成されていました。
 
それなのに、どうしてステージ上にキャラクターの存在を感じられなかったのか。
 
思考はどうしてもμ'sとの比較へと向かいます。
 
パフォーマンスのクオリティが低かった?
否、むしろ先代よりも難しいことに挑戦し、尚且つ結果を出している。
 
キャストの想いが不足している?
それも断じて違う。
「一緒に」「ひとつに」といったスタンスの差は個々あれど、全員が真剣にキャラクターと向き合っている。
 
あれも違う、これも違う。
考えて考えて、やはりこれしかないと思い至りました。
 
2次元と3次元の物語がシンクロしていたか、という相違です。
 
 
■僕にとっての2.5次元に必要なのは、統一感だった。
 
μ'sはアニメの内容と現実が重なっていました
メンバーもグループも本当に小さなところから始まり、やがて夢の大舞台に辿り着く。
そのストリームが2次元でも3次元でも実現していた。
それを指して僕は『奇跡』を目撃したように感じていました。
 
次元を超越した物語的シンクロが存在した。
ゆえにキャストとキャラクターが人生を共有しているように感じられた。
キャストの人生がキャラクターに血肉を与え、ひとりの人間として成立させたかのように感じられた。
だからこそ、ステージの上でも彼女たちが重なって見えた。
 
ここで重要なのは、グループというマクロな視点においてもそれが同じだったということです。
キャストの物語とキャラクターの物語がシンクロし、尚且つ、もっと大きな枠組み――即ちμ'sというグループの物語として見ても、2次元と3次元がシンクロしていた。
キャストとキャラクターだけの繋がりじゃない、より立体的なシンクロがあった。
だからこそ、ラブライブというコンテンツ全体が織り成す物語に違和感なく没入できた。
 
つまり、僕にとってはメンバーとグループの物語が統一的にシンクロしている点が重要だった。
ここに至り、ようやくそのことを自覚しました。
 
■期待の仕方が間違っていた。
 
同じラブライブコンテンツなのだから、Aqoursも2次元と3次元が物語的にリンクしている。
そう思い込もうとしていた節は、僕自身ありました。
 
ですが、事実として、3次元のAqoursは田舎の片隅で生まれたグループではありません。
始動の時点で、グループ(コンテンツ)としては華々しい道筋が用意されていました。
この点が2次元の物語とは大きく食い違っている。
 
メンバーとキャストの視点に立てば話は別かもしれません。
目立ったキャリアがないところから、1stライブで横浜アリーナを埋めるほどの力を持ったコンテンツを背負う。
重圧は凄絶を極めたでしょう。
ゼロからイチに至るまで、幾多もの挫折を乗り越えたのでしょう。
 
しかし、メンバーというミクロな視点と、グループというマクロな視点は別物です。
高海千歌』と『伊波杏樹』の物語はシンクロしているかもしれないけれど、『2次元Aqours』と『3次元Aqours』の物語はシンクロしていない。
先程述べたように、グループ視点では始動時点における環境がまったく異なっているからです。
 
この相違が原因で、Aqoursを取り巻く物語全体の統一感が損なわれている。
統一感の欠如が無意識下で障壁となり、Aqoursの物語への没入を許さなかった。
ひいては、ステージ上にキャラクターの存在を感じ取れなかったことに繋がった。
そういうことだったのだと思います。 
 
もちろんAqoursに責任はありません。
期待する側が100%間違っている。これはそういう問題です。
 
僕は何も考えずに期待してしまっていた。
統一感への拘りを棄てきれず、あまつさえそれを幻視し、強引にAqoursに当てはめようとしていた。
 
その歪みこそが鬱念の真因だったのだと思います。
 
■μ'sコンテンツを増やして欲しいかといえば、答えはノーである。
 
脇道に逸れますが、この辺りは誤解されがちな問題なので補足しておきます。
Aqoursはμ's と違う。だからμ's を復活させろ。そんなことはまったく考えていません。
 
理屈と感情の両面から納得しているからです。
 
①ビジネス的な理由
選択と集中。これに尽きます。
大前提ですが、いくら儲かっていようとコストは限られています。
そして消費者の視線をμ'sとAqoursに散らしてしまうのはロイヤルティの形成戦略としてあまりよくない。
ゆえに投資をAqoursに偏重するのは合理的です。
 
もちろんμ'sコンテンツにも需要はあります。
ただ、冷ややかな言い方ではありますが、その需要が拡大する可能性は低いでしょう。
3次元の活動が継続していない以上、どうしても推進力は落ちてしまいますから。
 
コストとリターンが見合わない。だからリソースを割かない。シンプルな理屈です。
 
②感情的な理由
これは僕自身の感覚の話です。
μ'sの物語はもう区切りがついている。
『μ'sはこれからも続いていく』というのはコンテンツとして継続するという意味ではなく、心のなかに在り続けるという気持ちの問題だと僕は捉えています。
 
以上のように折り合いをつけているので、僕はμ'sコンテンツの展開を望んでいません。
 
 
■プロとしての自覚を求めるべきか否か。
 
これも脇道です。
 
繰り返しますがAqoursのことは好きです。
ただ、好きだから全肯定というのは性に合いません。それは思考停止であり、盲信だと思っています。
 
2人ほど、悪い意味で気になった人がいます。
 
①逢田さん
名古屋の1日目でも神戸の1日目でもミスをしていました。
1stのときに伊波さんが『ライブだから!』とフォローしていたのを思い出します。
確かに、想定外のアクシデントも含めてライブという考え方もあるでしょう。
 
ただ、プロなんだから基本的に失敗は許されない。
それを笑って誤魔化してはいけない。それは開き直りです。
心の中では猛省していて、でもファンの前で暗い顔を見せてはいけないと思った末の言動かもしれない。
だから態度を批判するつもりはありません。
しかし、これからも『ライブだから!』を免罪符にしてしまうのではないか、と不安に思ったのも事実です。
 
1stの後にインスタに投稿していたメッセージがとても好きなんです。
みんなは、最高のパフォーマンスだったよ!とか感動した!って言葉を沢山くれたけど、失敗は失敗。プロとしてステージに立たせて貰ってる以上失格です。本当に反省しています。
この一文から、ただ可愛いだけじゃなくてきちんとプロ意識とストイックさを持っている人なんだと尊敬の念を抱いたんです。
 
それなのに、毎回のようにミスをしているようでは、あれは表面的な言葉だったのかと疑わざるを得ません。
 
 
②諏訪さん
ツアー初日、喉の調子が悪かったそうです。
コンディションを調節して、今のベストを出すのもプロの仕事。
そう言われる一方で、期待に応えたい、期待以上の成果を出したいという気概もあって然るべき。
 
どちらもわかるんです。
ただ僕は、無理してる姿を晒さないで欲しかった。
 
お遊戯会を見に行ってるのではないので、クオリティの高さももちろん必要です。
ただそれよりも、僕は演者が楽しくパフォーマンスする姿を見たい。
 
好きだからこそ、無理をしてる姿なんて見たくない。
ファンなら誰しも願うことじゃないでしょうか。
そういったファン心理を諏訪さんは理解していたのか、という疑問が残りました。
 
 
まだ3年目なんだから発展途上で当たり前。その成長を楽しもう。
そういう考え方もわかります。
わかるだけに、結論は出せていません。
彼女たちにプロとしての自覚を求めて良いのか。あるいはどこまで求めるべきなのか。
 
 
■声優主体の展開は悪なのか。
 
ついでなので声優の話をもう少し続けます。
ステージにいるのは18人じゃなくて、9人の代役を果たす9人でしかない。
思えばこの感覚は1stのときから持っていました。
 
では、その原因は果たしてグループにおける物語的なシンクロの欠如だけなのでしょうか。
それが真因であるとは思っていますが、すべてではないと思っています。
 
先にも少し触れた、声優が先行している公式展開の影響も大きいでしょう。
声優を押し出すことで、キャラクターはどうしても半歩後ろに下がってしまう。
僕がG線上のシンデレラのパフォーマンスを見て感じたのはそういう一面だったのではと思います。
2次元と3次元のシンクロを楽しむコンテンツにおいて、その感覚は違和でしかありません。
 
では、公式は悪なのか?
今のやり方はコンテンツのコア・コンピタンスを崩壊させているのか?
 
そうとも言いきれないのです。 
 
 
■Next Step Projectの目的がなんとなく見えてきた。
 
Aqoursは1stライブ以降の動きを『Next Step Project』と謳っています。
しかし、その目的が具体的に示されたことはありません。(あったらごめんなさい)
 
では、今のStepでは何を目的としているのか。
何を達成すればNext Step Projectは完了するのか。
 
以下の記事の一部ではこう言及しています。
「Next Step!」は「出逢い」「身近に感じる」といったものがテーマとして存在しているのでは、ということ。』(掲載許諾済み)
 
こちらの記事の軸はこの言及と別にあるとは思うのですが、僕は上記一文を読んで納得したんです。
『出逢い』をキーワードにしてファンとの接点を増やしていく。
『会いにきてくれる』という期待を高めてロイヤルティを形成していく。
これらもきっと正しい戦略なのでしょう。
 
一方で、僕は別の可能性も考えました。
キャスト自身のレベルアップも目的のひとつではないか、と。
 
2.5次元コンテンツ市場をざっと見ていてもパフォーマンスのレベルは底上げされています。
それに伴い、消費者の期待値も上がっています。
ハイクオリティなパフォーマンスを担保しなければ、そもそもコンテンツとして生き残れないでしょう。
 
ゆえに、キャストのレベル上げ期間として『Next Step Project』が設定されている。
過密にも見えるライブスケジュールからしても、そんな気がするのです。
 
ならばキャスト自身が積極的に前に出て生のリアクションを吸収していくのは自明であり、悪と断じることはできない。
ただの声優コンテンツに収まらないラブライブらしさを出していくのは、更に次のStepでの話である。
今回の鬱念を起点に、願望も込めて、僕はそう結論付けました。
 
蛇足ですが、声優を先行させる展開を感覚的に受用できるか否かが何に起因するのかも興味深いところです。
個人的には、『性別の違い』『性欲の強弱』『恋人の有無』などに相関があると睨んでいます。
要はキャストを疑似恋愛対象として見るか否かという話なのですが、根拠に乏しいのでここでは掘り下げません。
 
 
■結局、Aqoursの独自性とは何か。
 
本筋に戻ります。
 
ライブパフォーマンスという面だけを切り取ると、別にラブライブである必要はない。
それが今の僕が持っている結論です。
 
敢えて名前を出すことはしませんが、他の2.5次元コンテンツにおいてもパフォーマンスや楽曲は魅力的です。
キャラクターと真剣に向き合い、ステージ上で再現しようとするスタンスも、Aqours固有のものではありません。
 
では、Aqoursだけが持っている価値とはなにか。
 
考えるまでもなく沼津という土地に行き着きます
界隈を見ていても、Aqoursほどある現実世界の一地域と密接に関わっているコンテンツは他にありません。
ということはこの点こそAqoursの独自性であり、本質的な価値の在り処のように思えてきます。
 
沼津という土地で起きるムーブメントやそれを起点とした文化や人々との交流。
そういった、一見すると副次的な産物と思えるものにこそ、Aqoursの本質があるのかもしれません。
 
沼津を知らずして、Aqoursの本当の魅力を知ったとは言えない。
そう断言してもいいとさえ、今の僕は考えています。
 
 
■期待の質を変えていく。
 
最後になります。
キャストとキャラクターのシンクロも確かにラブライブの魅力のひとつです。
けれど、先に述べた理由から、僕はそこに期待しすぎないようにします。
 
もちろんキャストの頑張りを否定するつもりはありません。
2.5次元アイドルというコンテンツである以上、それはそれで間違いなく尊い価値のあるものだと思います。
 
ただ僕は、どうせならAqoursならではの楽しみ方を追及したい。 
鍵は沼津という土地にあるはずです。
 
明確な答えはまだ見えていません。
そもそも、述べてきた考えが間違いである可能性も多分にあります。
それを確かめるために、これからも沼津や各種イベントに足を運びたいと思います。
 
どんな風に沼津を変えてくれるだろう。
沼津を通じて、僕たちにどんな出逢いや感慨をもたらしてくれるだろう。
 
そういう期待の変質を肚に落とし込んだ上で、これからもAqoursを応援しようと思います。
 
以上です。

内浦ふしぎ発見

ダイヤさんの実家のモデルである『大川家』

そして、雑誌『DIVER』の企画で伊波さん、逢田さん、諏訪さんが訪れた『海のステージ』

 

6月頭に伺った上記2つのスポットで、僕はミステリーの気配を感知しました。

 

■File1.消えた朱印状

f:id:Takuetsu_Ayabe:20170619222422j:image

まずはダイヤさんの実家のモデルとなった大川家です。

史跡としては長屋門と呼ばれる部分だけで、それより中はあくまで一般の民家です。

もう本当に民家。足を踏み入れた途端に通報されないか不安になるくらい民家です。

 

今回の旅の目的は(後付けながらも)執筆中の長編のための取材としていたのですが、

さすがにこの雰囲気では、上がらせていただくのは難しいかなと思っていました。


しかし、成果なしでは帰れない。

そんな想いが僕の背中を押します。

 

少し敷地に踏み込んだ後、勇気を出して「ごめんください!」と呼び掛けると、奥から

和やかな表情をしたご婦人が姿を現しました。

挨拶を交わし、僕は「このお宅がラブライブというアニメの舞台になっていると聞いて

やってきました」…と伝えようとしたのですが、「ラブライブ」の「ラブ」くらいまで

口に出したところで、奥様は合点がいったという様子で微笑み、玄関の方へどうぞとお

っしゃってくださいました。

 

やけに慣れた応対だと感じたのですが、玄関を開けると得心しました。

驚いたことに、いわゆる「祭壇」が目に飛び込んできたのです。


f:id:Takuetsu_Ayabe:20170619222733j:image

各種グッズや降幡さんのサイン、更には交流ノートまで置いてありました。歓迎ムード全開じゃねーか!

 

さておき。

広間に上がらせていただくと、すぐに見覚えのある光景でした。


f:id:Takuetsu_Ayabe:20170619222828j:image

 

ダイヤさん推しの僕としてはついつい呼吸が深くなりましたね。(意味深)

 

奥様はサンシャインに関することを積極的にお話してくれました。

この広間が何話のどのシーンに出てきたかがまとめられた資料(ファンの方が作って寄

贈してくれたそうです)を交えながらの説明や、アニメスタッフによるロケハンの状況

や、フォトジェニックという雑誌の撮影で降幡さんがいらっしゃった時のことなど…。

思わず目的を忘れそうになるくらい、楽しいお話を聞かせてくださいました。

 

もちろんそれはそれで興味深かったのですが、僕がここに来訪したのは、黒澤家のモデ

ルとなった一族の歩みを知るためです。

 

ラブライブトークもそこそこに、不躾ながらも「実は網元の歴史にも興味があって…」

と切り出しました。

 

切り出した瞬間、奥様の顔付きが少しだけ真剣味を帯びた気がしました。

思わず僕もうわついた思考を棄て、背筋を伸ばします。

 

奥様は貴重な資料を交えながら親切に網元の歴史を教えてくださいました。


f:id:Takuetsu_Ayabe:20170619223004j:image

 

ただ、ここでその詳細を述べることはしません。

僕自身、語れるほど調べてきれていないというのと、既によくまとめられた記事があるからです。

ぜひこちらも読んでみて下さい。

(リンク掲載の許可はいただいております)

tegi.hatenablog.com

 

さて、ばっさり要約します。

大川家は内浦という土地の権力者でした。

その関係で、行政とも権利書や命令書をやりとりしていたと、奥様に教えていただきました。

 

そして、その政府とのやり取りに使われた文書が、大川家には多く保存されていました。

これを発見したのは渋沢敬三という人物ですが、この人物の詳細は先に紹介したブログ

内に詳しく記載されているので割愛します。

 

それらの文書の中に『朱印状』というものがあったそうです。

土地の権利書のような書類と考えていただけると分かりやすいかと思います。

 

さて、大川家には全部で17枚の朱印状が保存されていたのですが、僕はこれらの文書に

ミステリーの気配を察知したのです。

 

この朱印状が発見されたのは昭和初期のことなのですが、これらの原本は国の保管施設

に移送されることになりました。

内浦の漁業史を分析する上での大変貴重な資料ですから、当然の措置といえます。

 

しかし、移送の際に、あるトラブルが起きてしまいました。

 

17枚の内の1枚が、消失したというのです。

 

移送が行われたのは昭和初期。

なるほど、時代も時代ですから、今ほど厳密な管理ではなかったかもしれません。

紛失なり盗難なりという可能性は充分に有り得るでしょう。

しかし僕はこの話を聞いたとき、違和感を覚えずにはいられませんでした。

 

――なぜ、1枚だけなのでしょう?

 

常識的に考えれば、形も紙質も同じ17枚の書類を、個別に管理していたとは思えません。

そして、17枚をひとつの束にまとめて管理していたのであれば、紛失なり盗難なりに遭

ったとしても、それらは一蓮托生の関係であったと考えるのが自然ではないでしょう

か?

 

しかし、実際に消えたのは1枚だけ。ここに推測と事実の齟齬があります。

 

僕は訝しみました。

朱印状の消失には、何者かの作為があったのではないか、と。

作為があったということは、動機があった。

17枚の内から1枚だけを抜き取った動機とは何か。

失くなった1枚に何か特別な付加価値があったのではないか。

では、その付加価値とは何か…。

 

奥様はこれに関するとある事実を話してくださいました。

即ち、失くなった1枚を含めた17枚の複写(コピー)は、今もなお大川家に現存すると

いう事実です。

 

残念ながら、17枚のどれが消えた1枚なのかは分からないとのことでした。

なので朱印状の内容から動機を推測することはできません。

 

しかし重要なのは、複写が残っているという事実です。

複写があるということは、朱印状の内容は現存しています。犯人が、朱印状に書かれた

内容を葬りたかったのであれば、詰めが甘かったということになります。

 

しかし、犯人の意図が別にあったとしたら?

 

原本であることに価値があったのか。

紙そのものに何らかの仕掛けが施されていたのか。

1枚だけが消えるというシチュエーションそのものを欲したのか…。

 

考えれば考えるほど、想像が広がっていきます。

 

もちろん、事実としては単純に1枚だけ束から抜け落ちたとか、ありきたりなことかも

しれません。

ですが、そういった謎の気配を捉えて想像を膨らませてしまうのが、ミステリファンの

悲しき性なのでしょう。

これが、内浦で出会ったひとつめのミステリーです。

 

■File2.スカンジナビア号の謎

まずはこちらをご覧ください。
f:id:Takuetsu_Ayabe:20170619223111j:image

立派な船の模型です。


実はこの船、つい10年ほど前には実際に内浦の海に錨を下ろしていたのです。

名をスカンジナビア号といいます。


f:id:Takuetsu_Ayabe:20170619223225j:image

(浮かんでいたのは、なんと長井崎中学校のすぐ近く!)


かの船が内浦にやってきた経緯は省きますが、長きに渡り海上レストランとして稼働し

ていました。

しかし、バブル崩壊を契機に経営は傾き、やがて海上レストランとしての営業を断念す

る運びとなってしまいました。

 

その後はスカンジナビア号を内浦に残そうという動きもあったようなのですが、最終的

にはスウェーデンの造船会社へその身を引き取られることになりました。

 

2006年、スカンジナビア号は多くの住民に惜しまれながら内浦を去りました。

しかし、スウェーデンに辿り着くこともなかったのです。


f:id:Takuetsu_Ayabe:20170619223330j:image


f:id:Takuetsu_Ayabe:20170619223342j:image



そう、沈没です。

ここでまた、ミステリファンの悪癖が顔を出します。

 

なぜ、スカンジナビア号は沈没したのか?

 

ただの事故だった可能性は大いにあります。

実際、長期間渡航していなかったために強度面での不具合があったという説が有力です。

 

でも、もし、この沈没が意図的なものだったとしたら?

そんな風に考えてしまうのです。そしてその想像も、まったくの無根拠ではないというのが面白いところなのです。

 

長井崎中学校近くにある富士見トンネルを抜けた先に「海のステージ」というカフェがあります。

ここにはスカンジナビア号に関する資料がたくさん展示されています。

 

f:id:Takuetsu_Ayabe:20170619230953j:plain

(これまで載せたスカンジナビア号にまつわる写真はすべて海のステージさんで撮影させていただいたものです)

 

当然といえば当然かもしれませんが、従業員の方々もスカンジナビア号について詳し

く、業務の合間を縫って色々とお話を聞かせてくださいました。

 

その中で沈没の背景の話になったのですが、ここで僕は非常に面白いお話を聞きました。

実は、スカンジナビア号の沈没によって金銭的に得をした組織があるというのです。

 

その組織は現存しているので詳細を語ることは自粛しますが、もしかしたら彼らが作為

的にスカンジナビア号を沈めたのかもしれない…。

思わず、そんな想像を膨らませてしまいました。

 

他にも可能性は考えられます。

もしかしたら、スカンジナビア号の内部には何者かにとって都合の悪いもの(例えば、

床に染み込んでしまった何かなど)が残っていて、それを隠滅するために船ごと海の底

へ沈めてしまったのかもしれない…。などなど。

 

これが、ふたつめのミステリーでした。

 

 

いかがだったでしょうか。

いずれも現地の方々に話を聞いて、僕が強引な解釈をしただけなのですが、少しでも僕

が感じた浪漫が伝われば幸いです。

 

繰り返しですが、事実はどうあれ、想像する余地があるということに魅力を感じたとい

う話でした。

関係者の皆様に怒られかねない取り上げ方だったかもしれませんが、このような関心の

持ち方もあるのだとご理解いただけると幸いです。 

 

以上、似非ミステリーハンターの戯言でした。

ここまでご覧くださりありがとうございました。

 

いやあ、タイトル落ちでしたね。

約一年。

※ただの呟きです。お役立ち情報はありません。

 

――僕が同人活動をはじめたきっかけが『μ's FINAL LOVELIVE』であることは間違いないのですが、具体的にいつ頃だったかなあ、と思い、創作フォルダを古い順にソートしてみました。

 

f:id:Takuetsu_Ayabe:20170529213546j:plain

 

現時点から遡るとちょうど一年前くらいですね。

ファイルの乱雑さから、当時の不慣れさが感じられます。ははっ(失笑)

 

一年。長いような短いような。

 

結局、ミステリという括りだと二作しか書き上げていないんですよ。

長編をひとつと、短編をひとつ。

ミステリ以外も含めても、短編がプラス二作。

 

先日の僕ラブ16に出てみても思いましたが、圧倒的に小説を書き上げる経験値が足りません。

書きたいことはたくさんあるのに体がついていかない感じです。

ぜえぜえ言いながら書くことで、コンスタントに書き続けられる体力がついていくんでしょうか。今のところはそう考えて、地道にやっていこうと思っています。

 

僕ラブ16といえば、予想より少し多めの方々に手にとっていただけました。

委託のことも考慮するとほぼ理想的な頒布数だったので、ほっと一息。

 

お手にとってくださった皆さん、ありがとうございました。

ボタン押すだけの簡易感想フォームをご用意しているので、ぜひ感想をよろしくお願いします。みなさんの感想が命の源です。

docs.google.com

 

ついでなので、これからの執筆について少し。

いまメインで取り組んでいるのは、黒澤ダイヤを主人公に据えた長編SFミステリです。

SFといってもロボットやクローンが出るほうではなく、少し不思議なほうです。

今回はキャラクターをどれだけ掘り下げられるかという挑戦なので、推理要素はほとんどありません。

黒澤ダイヤの本質をどれだけ描けるか、という点に注力しています。

サンシャイン2期がはじまる前には完成させたいです。

 

 

 

しかし、その長編が行き詰まってしまいました。南無。

そんな背景があり、気分転換にと思って短編ミステリに手を出してみました。

www.pixiv.net

それまでは絶対短編なんて書けないと思ってたんですけど、お酒の力で強引に書き上げたところ、一応かたちにはなったので、案ずるより産むが易しとはこのことかといった心地です。

今後もタイミングを見つけて短編に挑戦しようと思います。

(こっちに集中しすぎて長編をおろそかにしないように気をつけよう…)

 

最後ですが、ありがたいことに、僕ラブ16にて合同誌のお誘いをいただきました。

詳細は未決なので情報は留めておきますが、折をみて発信しようと思います。

かたちになった際はご贔屓にお願いします。

 

今回はこんなところで。

次回はサンシャイン2期のストーリー予想でもやってみようかなと妄想中です。

 

それでは。

同人誌のマーケティング戦略

苦心(あるいは快楽)の果てに完成させた作品を多くの人に届けたいというのは、あらゆる創作者が持つ普遍的な欲だと思います。

そして消費者の視点からしても、この世にある良い作品を手に取りたいというのも、普遍的な欲と言えるでしょう。

しかし残念ながら、その橋渡しが上手くいかず、作品と消費者がすれ違ってしまうというのもまた、往々にして発生する事象です。その確率をゼロにすることは決してできません。

ですが、確率を下げる努力はできます。それ即ち、マーケティングの努力です。

 

私事ですが、私、綾部卓悦はマーケティングという学問を学んだ経験があります。そこで得たあれやこれを、『音ノ木坂学院の死』を頒布する機会にかこつけて実践してみたのです。

 

結果として、

Twitterフォロワー数約60名の人間が

・初めて参加した即売会で

・2,000円の同人小説を

・30冊以上捌いて完売させた

という実績は出たので、まあ優しい目で見れば成功と言っても差し支えないでしょう。

今回はその経験で得た気付き等を皆さんにシェアしようと思い、記事を書いています。

 

なぜそんなことをするのかって?

私が面白い作品を入手する確率を上げたいからさ!

 

※最近は即売会におけるサークルと一般参加者の在り方が色々と議論されているようですが、私は界隈に入ったばかりの新参者ですのであまりその辺りの事情に関心はなく、今回の記事もその点には無配慮で書こうと思います。ご了承ください。

※一般的に、マーケティングとは「モノが売れる仕組みを作ること」です。ただし同人誌は「売る」を目的とした製品ではないので、本記事の中では「作品を、手に取るべき消費者に適切に届ける方法」と定義しておこうと思います。

※と言いつつ「購買」や「競争力」といった言葉を使います。下手に噛み砕くと煩わしい表現になるためです。ご了承ください。

 

 

さて、本題に入っていきます。

 

まずお伝えしたいのは、マーケティングは奥深くて面白いということです。

厳密に言えば作品づくりもマーケティングの一部ではあるのですが、そこで終わらせるのはもったいないです。それを誰にどうやって届けるかと頭を捻らせることの楽しさを、是非とも体験して欲しいと思っています。

 

では、具体的に何を考えるべきなのか。

私が主に考慮したのは以下の3つです。

 

①ターゲット層

②価格設定

③プロモーション展開

 

本来なら、他にもたくさん考慮すべきことはあります。そもそも製品ありき(プロダクトアウト)の考え方からして既にナンセンスではあるのですが、同人誌という製品の特性を考慮し、その点は目を瞑ろうと思います。

 

以降、私の作品を例に使いながら各項目について述べていきます。

 

[拙作『音ノ木坂学院の死』] 

f:id:Takuetsu_Ayabe:20170326220915j:plain

 

①ターゲット層

音ノ木坂学院の死』はその内容を踏まえて、ラブライブ×本格ミステリと銘打ちました。

では、この作品のターゲットとは誰でしょう?

単純にいけば、「ラブライブが好きで、尚且つミステリ小説が好きな人」です。

でも、それだけでは曖昧過ぎます。

ラブライブが好きな人とは、どういう人か?」

「ミステリ小説が好きな人とは、どういう人か?」

「その人たちは、なぜそれらが好きなのか?」

と深掘りしていくことが肝要です。

実際に深掘りした過程を書くと膨大になってしまうので割愛しますが、『音ノ木坂学院の死』に関しては、「成功体験に飢えている」「知的活動に関心がある」「ドM」等の分析を踏まえて、最終的にメインターゲットを「謎解きイベント等に足を運ぶ習慣がある社会人ラブライバー」に設定しました。

肝心なのはなるべく具体的にイメージすることです。一人の人間を作るくらいの気持ちで取り組んでも、行き過ぎではありません。ちなみにこの工程をマーケティングの言葉では「ペルソナを作る」と言います。ちょっとわくわくしますね。

 

ターゲットを具体的に想定することで、価格設定やキャッチコピーを考えるベースができます。なので、このプロセスは非常に大切です。

まだピンと来ないかもしれませんが、読み進めて頂ければ分かると思います。

 

②価格設定

音ノ木坂学院の死』を知った方はまずこう思ったと思います。

 

高い。

 

そうなんでよね。高いんです。2,000円あれば他の同人誌何冊買えるんだ、と。

でもこの価格にしたのには理由があります。

もちろん、お小遣いを稼ぎたかったからではありません。

(蛇足ですが、今まで投じたコストを考えるとこの価格でも儲けは出ていません)

 

端的に言えば、客層の質を上げたかったのです。

こう言うと語弊があるかもしれませんが、安さを理由に作品を手に取る(あるいは価格を理由に敬遠する)ような方は今回のマーケティング対象外でした。

 

ミステリ小説とは知的な遊びという一面が強いです。それに対してそれなりのお金を払えるような方というのは、当然、知的な方である傾向が強いです。

※「知的」の定義は面倒なのでしません。フィーリングです。

 

そして知的な方に手にとって頂けるということは、無用なトラブルを避けたり、質の高いフィードバックを受けられる可能性を上げるということに繋がります。

私はこれらのメリットを享受したかったのです。

 

そしてこの価格設定には、最初に定めたターゲットが「社会人」だったということも反映されています。社会人であるということは、一般的に考えると若い方よりもお金に余裕があるということですから、多少高めの価格に設定しても、購買意思決定の障壁にはなりにくいと踏んだのです。

そもそも、同人誌は一期一会であることから、お金に糸目はつけないという風潮が強いようです。それも、今回の価格設定に踏み切った理由のひとつです。

 

更にもうひとつあります。

ある程度の値段を提示することで、作品の質を保証したかったのです。

 

例えば、1,000円で泊まれる温泉宿があったとして、皆さんはどう感じるでしょう。

「安すぎて怖い」と思いませんか?

いくら綺麗な内装写真を見せられたとしても、低品質な食事や心霊現象を想像してしまうのが自明です。

 

つまり、行き過ぎた低価格は不信感に繋がるのです。

裏を返すと、高価ということは期待をしてもらえるということでもあります。もちろん、内容が価格に見合っていなければ「高いのにつまらない」という最悪の評価を付けられるリスクがあるので慎重な判断は必要ですが、自信があるなら強気に出るべきだと思います。

ちなみに、売れ残りそうだから値下げするなんて行為は逆効果だと思ってほぼ間違いないです。「私の作品は低品質です」と言っているようなものですから。

自分の作品に誇りを持っているならば、たとえ虚勢だろうと、堂々と構えているべきだ!というのが私の意見です。

 

最後になりますが、一見問題なさそうに見える「高品質なのに低価格」という方策もいいことばかりではありません。

市場全体がその基準になってしまうリスクがあるからです。「高品質低価格」は必ずどこかに無理が生じています。その無理している状態がデフォルトになってしまうと、未来の自分の首を締めるだけでなく、市場全体――つまりは他のサークルさんを苦しめることにもなりかねません。

時間とお金を掛けたのならば、それに見合った価格設定をするのが自分のためでもあり、他人のためでもあるのです。

 

まとめます。

ここで言いたいのは『高い=悪い』ではないということ。

そして、『ターゲット層に合った価格設定をすることが大切』ということです。

 

③プロモーション展開

本記事のメインとなります。

これを考えるために、ターゲット層を絞ったと言っても差し支えありません。

 

そもそもの話ですが、マーケティング理論において「誰にでもウケるコンテンツを出そう」という考えはナンセンスです。それはまだ物資や情報が充分に出回っていなかった時代においてのみ通用していた考え方であり、今の世の中には合いません。

爆発的に情報量が増えた現代においては、適切にターゲットを絞り、その限定された範囲に対して、いかにインパクトを与えるかを考えなくてはなりません。「選択と集中」という考え方です。

 

では、同人活動において、消費者にインパクトを与える(=競争力を高める)にはどんな手段があるでしょうか。

 

様々な理由から、価格の安さで勝負することはできません。

販路も限定されているので、考えてもあまり広がりがありません。

 

となれば、製品自体のクオリティと、プロモーションに尽きるのです。

 

今回は小説の書き方講座でもないですし、そもそも講釈できるような実力はまだ付いていないので、製品そのもののクオリティについて言及はしません。これは各自で頑張りましょう。

 

というわけで、いかにプロモーションで目立てるかを考えます。

ですが、一口にプロモーションと言っても色々あります。それをすべて紹介するのは手間が掛かり過ぎるので、今回は「キャッチコピー」「サンプリング」「広告戦略」に絞り、競争力を高める方法を探っていこうと思います。

 

・キャッチコピー

さて、記事前半で、『音ノ木坂学院の死』のメインターゲットは「謎解きイベント等に足を運ぶ習慣がある社会人ラブライバー」であると述べました。

 

では、彼らに刺さるキャッチコピーとは何か?

 

これはあまり難しく考える必要はなく「ラブライブの二次創作であることを示す」「ミステリ小説であることを示す」「謎解きを想起させる」という条件が浮かんでくるので、それらを満たせるコピーを考えればいいだけです。

 

お分かりでしょうか?

ターゲット層を明確にしておくと、ここで非常に楽ができるのです。

 

だから、ターゲット層の選定は重要なのです。

この点以外にもたくさんの恩恵があるので、まずはターゲティングを優先しましょう。

 

話を戻します。

ここでは『音ノ木坂学院の死』の帯に記したコピーについて紹介します。やはり帯は本の顔ですから、ここに注力するのが最も効率的であると考えられるからです。

 

[実際に使用した帯]

f:id:Takuetsu_Ayabe:20170326214928p:plain

 

さて、今回はシンプルに「謎を解け」というメッセージを前面に押し出し、謎解きが好きな人の関心を惹けるように工夫しました。また、命令形を用いて愚直に挑戦を吹っ掛けることで受け手を煽る(=関心を高める)狙いも含んでいます。

 

加えて「微熱が出そうな本格ミステリー!」や「ラブライブ×本格推理小説」という文言で、作品内容を伝えました。

「微熱が出そうな本格ミステリー!」は単にリリホワの「微熱からMystery」をオマージュしたかったというのもあるんですが、読者に、作品を読んだあと(或いは読んでいる最中)の自分をイメージさせたくて採用しました。上手いコピーというのは往々にして、「製品を使っている自分」を受け手にイメージさせられるものなのです。

「微熱が出るくらい頭を使って考えて欲しい」という私の願いを反映させつつ、受け手に読んでいる自分をイメージさせたくて、このコピーに辿り着きました。

 

もちろん、上手いコピーを考える観点は他にもたくさんあります。

例えばSUNTORYのハイボールの広告に使われた「春はあげもの」のように、有名なコンテンツのオマージュを実現しつつツッコミどころを孕ませることでキャッチーにしたり、朝日新聞の「このままじゃ、わたし、可愛いだけだ」のように受け手を肯定して気持ち良くさせつつ焦燥感を煽るといった方法もあります。

 

この辺りを語り始めるときりがないので打ち止めとしますが、興味があれば事例を調べてみることをおすすめします。奥深くて面白い世界ですよ。

作品を書くことももちろんですが、キャッチコピーを考えるのも自身のクリエイティビティを発揮できる領域なので、創作が好きな皆さんならきっと楽しんで取り組めると思います。

 

尚、私は以下の流れで考えました。

①自分の作品に関連する言葉をひたすらノートに書き出す

②その中で、ターゲット層とマッチしないと感じたものを削る

③残った言葉をあれこれ組み合わせる

※あくまでも一例です。途中で新しい言葉を追加したりしてもいいと思います。身構えず自由に考えると楽しいです。

 

・サンプリング

2点目です。

音ノ木坂学院の死』はその全編をPixivで公開してから製本して頒布した、という経緯があります。

www.pixiv.net

www.pixiv.net

見方によってはかなり強気に見えるでしょう。無料でも全編読めるのに、わざわざ高いお金払って買ってくれる人なんているの?という疑問は当然、私自身も感じていました。

この方法に踏み切ったのは、実は理論に基づいたわけではなく、単に「自分が読者だったらこうして欲しいな」を実現したに過ぎません。

 

いや、だって、内容も分からない本に2,000円は出しにくいですよ。

 

もちろんそうでない方もたくさんいらっしゃるとは思うのですが、私だったらちょっと手が出ないです。どうしたって、「これでつまらなかったら嫌だな」と考えてしまいます。

そういった、買い手の不安を取り除くにはどうすればいいでしょうか?

 

最初から全部見せちゃえばいいじゃん。

 

短絡的ですが、これはこれで間違いないと思うのです。

こうしておけば安心して買っていただけると思いましたし、物語の構造上、これは紙で読みたくなるだろうという自信もあったので、あまり決断に時間は掛かりませんでした。

(後から気付きましたが、転売対策に一役買っている可能性もありますね。私には無縁の話ですが…)

 

もちろん、これはすべての作品にとって有効な手段というわけではありません。

作品自体にある程度のボリュームがあることや、ターゲット層の中に紙で読みたい派の方々がそれなりにいると見込めるといった条件を満たした場合のみ有効だと思われます。例えば、「ターゲット層が学生」の「10ページ小説」に対してこんな戦略を取ったら確実に売上が落ちるでしょう。

サンプリングの手段は、自分の作品をしっかり分析した上で決定することをおすすめします。

 

・広告戦略

最後です。

全編を公開してしまうというのもある意味では広告戦略なのですが、ここでは動画広告の有用性を紹介しようと思います。

要は「CMを作るといいことあるよ!」ということです。

 

なぜ、CMなのか。

重要なのは「動画である」ということです。

最近のマーケティング屋さんたちの中では、動画コンテンツによる訴求は常識です。

(もしかしたら既に古い観念の可能性もありますが…)

 

先程も少し触れましたが、今は情報過多の時代です。

外を歩けばそこかしこに広告があり、今やWeb上でも広告から逃れることは難しくなっています。

そして、その大半を消費者は無視しています。興味がないからとかそういう次元ではなく、そもそも脳が処理しきれないのです。

 

では、消費者にメッセージを届けるにはどのような工夫をすればいいのか?

ひとつは、ターゲット層を絞ること。これは既に述べたのでいいですね。

もうひとつは、消費者に楽をさせてあげることです。

消費者に楽をさせるとは、言い換えると「文字を読む手間を省いてあげる」ということです。

 

文字を読む、というのは能動的な行為です。エネルギーが要る行為です。

それを消費者に強いる方法ではなかなか届かないというのが、どうやら最近の風潮らしいのです。

 

対して、動画の閲覧は受動的な行為です。

いや、厳密に言えば完全に受動的な行為ではないのですが、文字広告を読むよりは確実にエネルギーを使わずに、脳が内容を処理できるのです。

明確な根拠を示すことは控えますが、皆さん自身の体験から考えて頂ければ腑に落ちるのではないでしょうか。

 

同人活動の告知はTwitterがメインフィールドになっているように感じるので、TL上で再生できる動画を使わない手はありません。

体感ですが、今のところは告知動画があるという事実だけでも「おお、なんか気合い入ってる」と思わせることができるようなので、そういう意味でもお得です。

 

でも、動画作成なんてハードル高そう……。

そんな声が聞こえてきそうですね。

 

その通りです。

 

いやそこは「そんなことありません」の流れじゃないんかーい!と思われるかもしれませんが、嘘をついても仕方ないので。

最初は難しいです。私もけっこう苦労しました。

 

でも、一度覚えてしまうと、色んなところで役に立つスキルです。

同人活動以外でも経験が活きた場面はあるので、やっておいて損はないと思います。

 

ちなみにお金は一切かけていません。

AviUtlというフリーソフトと、その解説サイトと、フリー音源だけでも私が発信した程度のクオリティであれば何とかなります。もちろん、極めればもっと凝ったこともできるようです。

 

[自作した告知動画] 

 

ちなみに私は絵が描けないタイプのフレンズなので、文字の見せ方だけで頑張りました。本当は絵を使えると動画の良さがもっと発揮されるんですけどね。絵と音楽は強い味方です。

 

しかし、動画に限らず、フレンズによって得意なことは違うから!と割り切れば、意外とプロモーションの工夫としてできることはたくさんあります。大事なのは視野を広げて考えること、というのが私見です。

思えば、表紙や帯のデザインも絵を書かずに乗り切りました。お絵かきが得意なフレンズに依頼することも考えましたが、コミュニケーションが苦手なフレンズなので諦めました。(フレンズって言いたいだけ)

  

 

思った以上に長くなってしまった。

 

つらつらと書いてきましたが、この辺りで力尽きようと思います。

最後に大前提を確認しておきますが、

 

マーケティングが活きるのは良い作品あってこそです。

 

これは自戒を込めて言うのですが、

つまらない作品をマーケティングの力で多くの人に届けることはできません。

「面白い作品があるのにそれを届ける方法が悪いせいで手に取るべき人の手に届かない」という状況に陥る確率を下げるのが、本記事におけるマーケティングの本懐です。

 

私はマーケティング戦略を練ること自体に楽しみを見出すタイプなのでこちらに時間を割いてしまいましたが、本来はその時間を作品の質の向上のために使うべきなのです。

しつこいようですが、マーケティングは作品づくりよりも優先して行なうことではありません。なので、製作に余裕がある(もしくは私のように考えること自体を楽しめる)人に対して、本記事が少しでも良い影響が与えられれば幸いです。

 

……なんて、綺麗事を書きましたが。

私がこの記事を書いた目的は、私自身が良い作品に巡り会える確率を上げるためです。

 

なので、この記事を読み終えたら速やかに製作に戻ってくださいね。

あなたの素晴らしい作品が私の手に届く瞬間を、心待ちにしておりますので。

 

最後になりましたが、あくまでも本記事の内容はマーケティングを齧った程度の人間が書いたものなので、鵜呑みにはしないでください。

それでも、ほぼ素人であることを承知の上で、ご質問やご相談があるという場合は、可能な限りお受けします。

当ブログのコメントやTwitterで気軽に話しかけてください。コミュニケーションが苦手なフレンズなので会話のきっかけが欲しいんです。

 

それではまたどこかで。

 

綾部卓悦 (@Takuetsu_Ayabe) | Twitter

Step Zero to One

小さい頃から本が好きでした。
中学生くらいまでは専らファンタジーを。それ以降はアルセーヌ・ルパンシャーロック・ホームズを。ルパンやホームズははっきり言って内容は殆ど理解せず、読んでいる自分に陶酔するために読んでいました。思春期特有の症状ですね。とはいえ、漠然とではありつつも、明晰な頭脳で謎を解く登場人物たちに憧れを抱いていたのも確かな事実です。
 
それからミステリーというジャンルにも手を出すようになりました。そして、一冊の本格ミステリに出会いました。綾辻行人先生の『十角館の殺人』です。すべての真相を示すあのたった一言の台詞が私に与えた衝撃たるや。この世には、こんなにも鮮やかな文章があるのかと。全身が粟立ったあの感覚は忘れられません。初めて心の底から「ミステリー小説って面白い!」と思えたのが、この瞬間でした。
 
こういった読書遍歴の中、常に心の底を細々と流れ続ける想いがありました。
即ち、小説家になりたいという想いです。
 
しかし同時に、なれるわけがないと諦めてもいました。
だって、小説家は一部の才能ある人たちの職業だから。自分にそんな特別な才能なんてないからなれるはずはない、と。何も試してすらいないのに。
 
その気持ちが変わり始めたのは、ラブライブに出会ってからでした。夢に向かって駆け抜ける18人を見て自分も頑張ろうと思えたのは私だけではないはずです。
 
ラブライブの他にも、やろう!と思ったきっかけはいくつかあります。それは南條愛乃さんがラジオで発言していたある一言だったり、懇意にさせて頂いているミステリ作家さんから贈られた言葉だったりするのですが、詳しい話はまたいつか当ブログで紹介しようと思います。
とにかく、少しずつ自分の夢に素直になろうと思えるようになっていったのです。
 
しかし、ここが私の弱さなのですが、いざやってみようとしても足が動きませんでした。
気持ちは前向きになれたけど、具体的なアクションを起こせない。『いつか』や『その内』だけが堆積し、ただ彼女たちを遠くから眺めるだけになってしまっている。そんな状態がしばらく続きました。同じような心境に陥っていた(あるいは今も陥っている)方も、多いのでは?
 
そんな折、いよいよ一歩踏み出さねばならないと思ったきっかけが訪れました。
それは、2016年4月1日。私たちの胸に焼き付いて離れない、あのライブです。
 
皆さんはあの日、μ'sから何を受け取りましたか?
 
私は夢へ向かって踏み出す勇気を受け取りました。
MOMENT RINGにある『新しい夢が生まれてくるとぼくたちは知ってるよ』という歌詞。それを彼女たちの歌声に乗せて聴いた時、私の胸に詰まった『いつか』『その内』は一撃で吹き飛ばされ、奥で燻っていた想いが燃え始めたのです。
私は思いました。
ああ、受け取ってしまった、と。
そして受け取ったことを、彼女たちは"知っている"。ならば逃げる訳にはいかないだろう、と。

さて。
きっかけの日から約1年経った2017年3月12日。
この日、大田区産業プラザPIOにて催された僕らのラブライブ!15というイベントにて、私、綾部卓悦は『音ノ木坂学院の死』という同人小説を頒布しました。
当然のことながら、会場にいた皆様にとっては単なるいち同人誌だったことでしょう。
ただ、私にとっては、大きな意味付けのある作品です。
 
過去にもお遊び程度に物語を綴った経験はありました。
しかし、執筆という行為に真剣に取り組んだのは、今回が初めてでした。
そういった意味で『音ノ木坂学院の死』は自分の中での処女作であり、同時に、夢への第一歩を踏み締めた実感を伴う、思い入れの強い作品となったのです。
 
そう。
音ノ木坂学院の死』は、プロのミステリ作家になるためのFirst Stepということです。
たかが同人誌。されど同人誌。私は、私なりに、真剣に取り組んだのです。
 
3月12日といえば、奇しくもAqoursの1stライブの直後でした。
彼女たちの第一歩と、綾部卓悦の第一歩。
そのタイミングが近かったことに、ほんの少しだけ運命的なものを感じました。
向いている方向は別々ですが、彼女たちの勢いに負けないよう、精進します。
 
……いや、ほんとに、精進しなくてはならないのです。
あまり自分の作品を悪く言うと読者の皆様に失礼なので小さなボリュームで言うのですが、トリックは古いし、物理的な根拠には欠けるし、動機と仕掛けのバランスは悪いし……もう、反省点ばかりでして。
本格ミステリと大見得切ったのも、本当は少しやりすぎだったかなとも思っているのです。(後悔しているわけではないのですが)
 
ともかく、今後の作品では、今作の反省を活かし、より良いものを書きたいと思います。
 
長くなってしまいました。
仰々しい挨拶は苦手なので、シンプルに締めます。
 
今後のブログでは、以下のテーマを書こうと思います。
 
・ライブの感想
 Aqoursに限らず。ラブライブとは無縁のライブ、あるいは過去のライブについて。
・同人誌のマーケティング
 僕ラブ15である程度の成果を出せたので、私なりに工夫した点についてつらつらと。
・頂いた感想のご紹介
 以下フォームより頂いた感想の中で、紹介可として頂いたものに関して。
・綾部卓悦の人生観
 何かしら思うことがあったときに。
・次回作について
 ただの呟きになるかもしれません。
                        and more...
 
今後ともよろしくお願いします。